今まで、参拝しておきながら、ご紹介できていない神社をご紹介します。
愛宕神社は、御府内八十八ヶ所巡りで真福寺にお参りした際に参拝しました。
愛宕神社は真福寺の隣りになります。
愛宕神社への最寄り駅は、東京メトロの神谷町駅(日比谷線)、虎ノ門駅(銀座線)、都営地下鉄の御成門駅(三田線)、JRの新橋駅といろいろ最寄り駅があります。
愛宕神社は、慶長8年(1603)に、江戸の防火のために徳川家康の命令で祀られた神社です。.京都の愛宕神社も、ここ東京の愛宕神社と同じご祭神ですが、「どちらが本社とかではなく、同格扱いとする」との幕府からのお達しがありったそうで、現在も同格扱いのようです。
【出世の階段】
愛宕山は標高26メートルで、東京23区内ではもっとも高い山です。
そのため、神社正面の男坂は急斜面となっていて、急な石段となっています。「男坂」の急な石段は「出世の石段」とも呼ばれています。
これは、増上寺参拝の折に徳川家光が山上にある梅が咲いているのを見て、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩の曲垣平九郎が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、その者は馬術の名人として全国にその名を轟かせた、という逸話から来ています。
この話は講談の「寛永三馬術」として有名です。
いや、86段もある石段は急で、こわごわ降りる感じでした。
愛宕神社は歴史の重要場面に何度か登場してきます。
【水戸浪士集結の場所】
その一つは、井伊直弼を討った水戸浪士集結の場所であったことです。
万延元年、3月3日、大老井伊直弼を水戸浪士が討った桜田門外の変は有名ですが、その水戸浪士が集結したのは、この愛宕神社だったのです。 浪士たちは神社内の絵馬堂(現存せず)に集結し、神前に祈願したのち、歩いて桜田門に向かったのです。
【勝海舟・西郷隆盛の会談の場】
また、江戸城明け渡しのための勝海舟・西郷隆盛の会談の場所でもありました。
江戸城明け渡しについて勝海舟と西郷隆盛の会談が、行き詰まり状態にあった明治元年3月13日に2人は愛宕山に登り、江戸の町を見渡しました。
そして、どちらから言い出すともなく、「この江戸の町を戦火で焼失させてしまうのはしのびない」 と話し合います。
そのあと、三田の薩摩屋敷で歴史的な会談が行われ、江戸城の無血開城に重要な役割を果たしたと言われています。
右は、下から見た男坂です。下からみても急な石段です。

