19名の方にご参加いただき、楽しい時間を過ごすことができました。
ご参加いただいた皆さんありがとうございました。
日本橋散策ツァーの見所は、パートナーを務めてくれた月猫さんが書いてくれますので、そちらにお任せして、いつもどおりブログを書いていきます。
日本橋散策ツァーに際して、案内場所は当然下見をしましたが、それに関連する場所も下見をしました。
その一環で豪徳寺や松蔭神社なども訪問しましたので、今日から紹介していきたいと思います。
今日は井伊家の菩提寺や招き猫発祥の地として有名な 豪徳寺 の紹介です。
豪徳寺は、元々「弘徳院」と言われました。
文明12年(1480年)吉良政忠が伯母である弘徳院のために庵を結んだのが最初です。
寛永10年(1633年)彦根藩2代藩主井の伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を創建し整備しました。
寺号は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」によります。
豪徳寺は、小田急線の駅名にもなっているので、前々からなじみのある名前でしたが、お寺の名前が井伊直孝の法名に由来するというのは、今回のお参りで初めて知りました。新しい発見でした。
なお、世田谷を領した吉良氏は、吉良上野介義央で有名な三河吉良氏と同族ながら系統の異なる奥州吉良氏の系統です。
江戸時代には、家格の高さから、高家として取り立てられますが、三河吉良氏との関係から、蒔田氏として称しています。そして、赤穂事件によって三河吉良氏が断絶した後は、「吉良」に復姓しています。
山門から入るとまず明に入るのは正面にある仏殿(上の写真は正面から、右の写真は脇からとったものです)です。仏殿は、寛文から延宝年間にかけて行われた大造営事業の中心的建造物です。
この事業を進めたのは、井伊直孝の妻春光院とその娘掃雲院のふたりだそうです。
仏殿は、掃雲院が3代藩主直澄の菩提を弔うために延宝4年(1676)に建設に着手し、翌延宝五年(1677)に完成しました。
当寺流行した黄檗様式が随所に取り入れられているとのことです。
仏殿前の石灯篭(左上の写真)も、仏殿と同じ時期に建立されたものとのことです。
山門から仏殿へ向かうと東側に鐘楼があります。
この梵鐘は、延宝7年に完成しています。製作者は、藤原正次という江戸の鋳物師とのことです。
高さは約148センチあります。
招き猫の話や井伊家の墓所については明日書きます。