ところで、豪徳寺へは、小田急線「豪徳寺」駅から歩いて12分かかります。歩くのが大変でしたら、豪徳寺駅から、豪徳寺駅の傍にある世田谷線「山下」駅で世田谷線に乗り換えて「宮の坂」駅から歩くと3分で到着します。
豪徳寺は、招き猫発祥の地と言われます。それは、井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避けることができたことを大いに喜んだことによると言われています。豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」が仏殿の西側にあります。
招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されていました。
右手を挙げている猫は金運を招き、左手を挙げている猫は人(客)を招くとされています。
ゆるきゃらで有名な「ひこにゃん」のモデルは、ここの招き猫です。
「招猫殿」の前を通り、さらに西に向かうと、井伊家墓所になります。彦根藩井伊家の2代藩主直孝はじめ6代直恒、9代直禔、10代直幸、13代直弼、14代直憲の6代の墓所があります。
墓所の入り口には、大きな説明板と墓所の地図が設置されています。
なお、初代彦根藩主、井伊直政の墓所は彦根清涼寺にあります
13代藩主の井伊直弼は、万延元年(1860)の桜田門外の変で暗殺されました。
直弼も、豪徳寺に葬られています。(下の写真は墓碑の脇にある説明板です)
桜田門外の変については、かなり知られていますが、桜田門外の変以後のあまり知られていない話題を三つご紹介します。
1、桜田門外の変の起きたのは、3月3日ですが、井伊家の家名存続と井伊家と水戸家の騒乱が激化することを防ぐため、直弼の死亡はしばらく伏せていたそうです。そのため、井伊直弼の墓にも命日は、閏3月28日となっているそうです。直弼の墓は墓所修理中で詳しくは墓碑をみることはできませんでした。
2、井伊家墓所には、桜田門外の変で殉難した八士を奉る桜田殉難八士之碑が建っているとのことです(参拝の当日は、墓所が修理中だったため、実物は確認できませんでした)
この人たちは、桜田門外の変で死亡した人たちですが、生き残った人たちには、厳しい処置が下されました。
重傷者は減知のうえ、藩領だった下野の佐野に流され揚屋に幽閉されました。
軽傷者は全員切腹が命じられました。
無疵の者は全員が斬首され、家名断絶となりました。
3、直弼の失政を理由に彦根藩は石高が35万石から25万石に減らされてしまいました。
桜田門外の変は、日本の政治だけでなく、彦根藩井伊家の人たちにも大きな影響を与えたことがわかります。
豪徳寺は、広い境内で、多くの建物が建っています。
こちらが、豪徳寺の本堂です。仏殿の北側にあります。昭和42年に建立されました。
山門から仏殿に向かう参道の左手に、真新しい三重の塔 がありました。
平成18年5月に完成しました。

