吉田松陰は小伝馬町牢屋敷に2回入獄していましたので、日本橋散策ツァーでは、吉田松陰の話をしました。
吉田松陰の処刑を行ったのが、俗に「首切り浅右衛門」と呼ばれる7代目の「山田浅右衛門」でした。
6代目と7代目山田浅右衛門が眠る四谷の勝興寺、8代目山田浅右衛門が眠る池袋の祥雲寺(しょううんじ)に、日本橋散策ツァーの下調べに行ってきてありますので、今日から、山田浅右衛門について書いていきます。
祥雲寺(しょううんじ)には、歴代の山田浅右衛門の系譜を書いた 「浅右衛門之碑」 がありますので、祥雲寺のほうから案内します。
祥雲寺は、池袋にある由緒あるお寺です。 東京メトロ「要町」駅の5番出口からは歩いて2分です。
祥雲寺は、室町幕府第12代将軍足利義晴の時代の天文元年(1532年)に、小田原北条氏の重臣で江戸城主の遠山景久によって、江戸城和田倉門内に駒込吉祥寺の末寺として創建された寺です。駒込の吉祥寺の2代目であった安充和尚を招いて開山としました。
当初は遠山景久とその妻の法号を取り、この寺を瑞鳳山浄光院と称しました。
徳川家康が江戸に入城し、城郭を拡張修繕するにあたって、神田台(駿河台)に移転を命ぜられ、その後、小日向金杉への移転しました。
さらに、寛永13年(1636年)戸崎台(現在の文京区白山2丁目)へ移転することになりました。
そして、5代将軍綱吉が亡くなり、御台所である鷹司信子は出家して、浄光院殿と呼ばれるようになったことにより、お寺の名前が鷹司信子の法号と同じであることに遠慮し、浄光院を改めて祥雲寺と称するようになったそうです。池袋へは明治36年から移転を開始、大正4年(1915年)に移転が完成したそうです。
祥雲寺には、8代目山田浅右衛門吉豊の墓のほか、信州松本藩戸田家代々の墓や最近の人では漫画家の石ノ森称章太郎の墓もあります。
明日は「浅右衛門之碑」について書きます。

