今日は、祥雲寺にある歴代の山田浅右衛門について刻した 「浅右衛門之碑」のお話です。まず山田浅右衛門とはどういう人物かです。
山田浅右衛門は、江戸時代に御様御用(おためしごよう)という刀剣の試し斬り役を務めていた山田家の当主が代々名乗った名です。
山田浅右衛門は、死刑執行人も兼ね、首切り浅右衛門、人斬り浅右衛門とも呼ばれました。
歴代の山田浅右衛門は次の通りです。
初代 山田浅右衛門貞武 2代 山田浅右衛門吉時
3代 山田浅右衛門吉継 4代 山田浅右衛門吉寛
5代 山田浅右衛門吉睦 6代 山田朝右衛門吉昌
7代 山田朝右衛門吉利 8代 山田浅右衛門吉豊
山田浅右衛門家は多くの弟子を取り、当主が役目を果たせない時には弟子が代行しました。また、当主に跡取りとなる男子が存在しない時には、弟子の中から跡継ぎを選びました。
4代までは直系ですが、5代、6代、7代はそれぞれ養子です。8代は7代の子供です。
アサ右衛門の字も、「浅右衛門」を書く代が多いのですが、「朝右衛門」と書く代もあります。
「浅右衛門之碑」は、本堂の西側の脇にあります。
ご住職の奥様が親切にご案内してくれましたので、すぐわかりました。
右の写真をよく見ていただくと『浅右衛門之碑』と書かれているのがわかると思いますがどうでしょうか? 碑の表には、山田浅右衛門の事蹟が簡潔に書かれています。
碑の裏には、初代から8代までの、法名が刻まれています。
そして、3代からは、辞世の句も刻まれていますが、句を読みとるのはなかなか難しかったですね。
記念碑の碑文を書き取ってきましたので、紹介します。
難しい言葉を使用して刻まれていますので、読みにくいかもしれませんが、時間がありましたら最後までお読みください。
『山田氏の先は 六孫王源経基に出づ
始祖貞武 資性倜儻(てきとう)不羈(ふき)武を好み山野氏に従て刀術を修め其妙を極む
江戸平河に住し浅右衛門と称す
子孫 之を其家号となる
2世吉時 徳川家の御腰物御様御用を勤め 傍ら首打同心の役を兼ぬ
後世 職となり 3世吉継 4世吉寛 相承け
5世吉睦 山田流据物刀法を大成し又刀剣鑑定家として名声 籍甚(せきじん)なり
6世吉昌 7世吉利 8世吉豊 皆能く其裘(きゅうぐ)の業を紹恢し 敢て家声を堕ず
以て明治維新に至
今や継嗣絶え 墳墓亦殆ど壊滅に帰せり仍(よっ)て同志胥謀り
世系事蹟を石にし 祥雲寺の境内に建て
且つ 髻(もとどり)塚を修造し以て後に貼すと云爾
昭和13年10月9日 鴇田恵吉』
倜儻(てきとう):才気が衆人にかけはなれてすぐれているさま。
物事に拘束されないさま。
籍甚(せきじん):名声が世に広まること。評判の高いこと。
裘(きゅうぐ):毛皮で作った衣。かわぎぬ。
勒(ろく)す:彫る。刻む。
最後までお読みいただきありがとうございました。

