7代目山田朝右衛門吉利は、安政の大獄の際に、吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎の首を斬った人として名が知られています。
その山田 朝右衛門吉利は、四谷の 勝興寺 に眠っています。
勝興寺は、先日書いた戒行寺、西応寺、本性寺などがある四谷の南寺町の一画にあります。l山田朝右衛門吉利は、幕末に公儀御様御用(こうぎおためしごよう)という刀剣の試し斬り役を務めました。
吉利は備中新見藩の藩士後藤五左衛門の次男で、後藤五三郎と言いました。
父の五左衛門も山田家の門人で、五三郎自身も山田家の門人でした。
6代目山田朝右衛門の養子となり、朝右衛門と改名しました。
吉利は試し斬り以外にも刀剣鑑定に優れ、公儀腰物拝見役を拝命しました。
公儀腰物拝見役は、徳川幕府開幕以来本阿弥家のみが専任する役でした。
本阿弥家以外の人が拝命することは、当時としては極めて珍しいことでした。
これは歴代の山田朝右衛門にはなかったことで、吉利は「源姓山田家系譜」の中に「先祖に先例なき特典なり」と割り注を入れているそうです。
吉利は明治17年になくりました。勝興寺のお墓には「明治十七年十二月二十九日、天寿院慶心和水居士、第七世山田浅右衛門吉年、行年七十有二歳」とあります
7代山田浅右衛門は、朝右衛門と書かれることが多いのですが、お墓には浅右衛門と書かれています。
また、「吉利」は勝興寺のお墓には「吉年」とあります。
これらが、なぜそうなっているのかご住職に聞いてもわかりませんでした。
吉利の墓は勝興寺のほか正源寺(港区白金2丁目7番地19号)にあるとのことです。
これは吉利が養子であり、遺言で葬式は勝興寺、遺体は正源寺としたためだそうです。
正源寺は実家の後藤家の菩提寺です。

