今日も山田浅右衛門に関係するお話で、6代目山田浅右衛門と山田浅右衛門屋敷跡について書いてみます。
【6代目山田浅右衛門】
勝興寺の7代目山田浅右衛門吉利の墓は、実は、6代目山田朝右衛門吉昌と同じお墓に合葬されています。6代目山田朝右衛門吉昌は、元は遠藤次郎兵衛という下級幕臣の子で、奥州湯長谷藩藩士の三輪源八の養子となりました。5代目山田浅右衛門吉睦(よしむつ)は三輪源八の次男ですので、5代目吉睦からは義理の弟にあたります。
5代目を継ぐ人はなかなか適当な人がなく、ついに山田浅右衛門の門人で、試し切りの修行を積んでいた吉昌が継ぐことになりました。
跡を継いだ6代目は朝右衛門を名乗りました。
なぜ浅でなく朝なのかはハッキリしません。
勝興寺には、 6代目山田朝右衛門吉昌が、62歳の誕生日に剃髪した際に寄進した天水桶が本堂の階段の両脇にあります。(上の写真)
天水桶には「天明七丁未年七月十八日 山田朝右衛門吉昌 出生
嘉永元戊申年七月十八日 誕生日剃髪改 山田松翁」
と書かれていました。
【山田浅右衛門屋敷跡】
さて、山田浅右衛門の屋敷は、平河町にあったということでしたので、こちらの屋敷跡も見ておきました。

嘉永3年の江戸切絵図で、半蔵門から西に延びる甲州道中の2本南の通り沿いで平川丁(町ではなく、丁と書かれています)の一画に、確かに「山田浅右エ門」と書かれています。
そこで、平河町に行きました。
東京メトロ半蔵門線の「半蔵門」駅の1番出口を出て、約80メートル西側に向かった道路の南側一帯が屋敷跡と云われています。
今は写真のように某大手生命保険会社の近代的な大きなビルになっていて、ここに「胆(キモ)蔵」もあったと言われる山田浅右衛門の屋敷があったなどとは夢にも思えない状況です。

