浅草橋門(浅草見附)があった辺りは、門ができるまでは、初音の里と呼ばれていました。
そして、その里の楠等が生い茂っている森は、初音の森と呼ばれていました。
その名前を持った神社が、初音森神社です。
本社は、現在、墨田区千歳にあり、以前、 「森のつく神社 初音森神社」で紹介しましたが、浅草橋の南の旧地にも、初音森神社があります。
【初音森神社】
初音森神社の創建は、元弘年間(1331~34)で、文明年間(1469~86)に太田道灌により社殿が建てられました。当時は、初音稲荷と称していたそうです。
天文20年(1551)社前に馬場ができましたが、初音稲荷にちなんで初音の馬場と呼ばれ、初午祭などには馬追などが行われたといいいます。
また慶長5年(1600)関ヶ原の合戦へと出陣する徳川家康は、この馬場で馬揃えをしたといいます。
しかし、浅草見附門の建設のために境内地の半分が削られ、さらに明暦の大火の後、別当寺の用地も郡代屋敷用地となったため、現在本社がある墨田区千歳へ替え地を拝領し遷座しました。
そして、昭和23年に、かつての初音の里に神社を建立。さらに昭和48年神殿・儀式殿を備えたビルとしたのが、浅草橋の初音森神社です。
【初音乃馬場】
浅草橋の手前にある馬喰町には、歌川広重の名所江戸百景の一つ「馬喰町 初音乃馬場」に書かれている「初音乃馬場」がありました。江戸名所図会には次のように書かれています。なお、江戸名所図会では、「馬喰町馬場」と呼んでいます。
馬場 馬喰町3丁目の西北の裏通りにあり。
江戸馬場のうち、もっとも古し。慶長5年(1600)関ヶ原御陣のとき、御馬揃えありしところなりといひ伝う。
御馬工郎(おんばくろう)高木源兵衛、これを預り奉る(この地を馬喰町というも、この御由緒によりてなり)
初音の馬場があり、馬を扱う博労たちが集まったので、馬喰町という名前がついたようです。
名所江戸百景「「馬喰町初音乃馬場」の中央に書かれている建物は、火の見櫓です。
定火消屋敷の火の見櫓には、中央に大太鼓があり四隅に半鐘が下がっていました。
大名屋敷の火の見櫓には板木が下がっていました。
町方の火の見櫓に半鐘が下がっていました。
このことから、描かれている火の見櫓には半鐘が下がっていますので、町方の火の見櫓だとわかります。
季節は、馬場の土手の柳が芽吹いているので早春ということになります。乾されている布は、紺屋が染めた布なのでしょうか・・・・
なお、 初音の馬場は明治始めまでは残っていたそうですが、現在は問屋街の一角となりここに馬場があった事を思わすものは何もありません。
【浅草橋門周辺の史跡】
赤印が初音森神社、青が初音の馬場のあった場所、緑が郡代屋敷跡の説明板

