前回、紹介した、堀田正敦(まさあつ)の「観文禽譜」の中でも、雁行と雁風呂は紹介されています。
【雁行】
雁は1羽が先頭に立ち、次の雁はその左右に少しずつ外側にずれて飛んでいきます。
これが「雁行」と呼ばれる飛行形態です。
下の写真は、夕焼けの空の雁行を撮ったものですが、小さくてよくわからないかもしませんので、こちらをご覧ください。⇒雁行記さんのHPです。

雁行は2番目以降を飛ぶ鳥の空気抵抗を抑える効果があるので、こうした飛行形態をとるそうです。
先頭を飛ぶ鳥は、時々交代しているそうです。
雁行は、雁だけでなく都鳥などにもみられるそうです。
雁行で有名な話に、江戸時代ではありませんが、源義家の後三年の役の時の話があります。
源義家が清原家衡の籠もる金沢柵を攻めて、西沼(横手市金沢中野)の付近を通りかかった際、いつもは整然と列をなして飛ぶ雁が列を乱して飛んでいました。
それを見た義家はかつて大江匡房から教わった孫子の兵法を思い出し、伏兵がいると察知し、西沼の附近から三十数騎の敵兵を発見し、これを全滅させました。
義家は、もし自分が兵法を学んでいなかったら敵の奇襲に遭ってやられていたと述懐したといいます。
この兵法とは、孫子の行軍篇に「鳥立つは伏なり」と書かれていることをいいます。
【雁風呂】 右の写真はマガンの写真です(撮影者:佐久間長夫様)

青森県津軽地方の外が浜に雁風呂という話があります。
堀田正敦の「観文禽譜」の中には次のように書かれています。
「採薬使記に『奥州外が浜の辺りでは毎年秋に雁はそこで羽を休め、(渡りの途中、海上で休息するために)嘴にくわえてきた木の枝を捨てて、さらに南方に飛び去る。
翌年の春北に帰る時に、捨てておいた木を一本ずつくわえて帰る。
しかし、帰る雁がいない場合は木の枝が残る。
その土地の習わしで木の枝を集めて風呂を焚き、人々を入浴させる。
他国で捕らえられた多くの雁の供養だということで、毎年の恒例となっている。
これを俗に外が浜の雁風呂という』 とある」
この話は、江戸中期の本草学者阿部将翁の「採薬使記」という本に書かれている話です。
1973年にサントリー ウイスキー 角瓶のCMで取り上げられたことがあり、『雁風呂」のことを多くの人が知ることになりました。
落語にも「雁風呂」という演目があるそうですが、残念ながら、私はまだ聞いたことがありません。

