【大堰川】 大堰川の川幅はかなりあり、川の景の中心を占めています。
京都の嵐山を模したものです。
大堰川は、3代将軍家光の好みでつくられたとされています。家光自身が指揮をとったとも言われています。
大堰川の上流(写真の右手)は通天橋につながり、下流には渡月橋がかかっています。
【渡月橋】 渡月橋は園内の川の景の入口にあたる部分にあります。
京都と同じように大堰川にかかっています。
この写真の右手が上の写真の大堰川で、左手前方には西湖があります。
【屏風岩】 屏風のようにまっすぐ屹立していることから屏風岩と呼ばれている岩で、大堰川の川原に作られています。
3代将軍家光がしばしば訪れた際に、この近くの松の枝に手ぬぐいをかけ、川原の石に腰をおろしたといわれています。
家光は頼房とは年齢も近いこともあり、後楽園作庭中から何度も水戸家を訪ねて、徳大寺左兵衛に指示もしていたそうです。
【通天橋】 これが有名な通天橋です。
大堰川の上流に架けられています。
京都の東福寺の「通天橋」にならって、大堰川に朱塗りの橋をかけたものです。
紅葉の時は大変見事ですが、11月中旬では、まだ紅葉には早いようです。
【音羽の滝】 通天橋のすぐ下にある石組みが音羽の滝です。
もともとは神田上水の水をくみ上げ流していたが、元禄大地震の時に水流が破壊され石組みだけが残りました。
【元禄の変革】
元禄期には、後楽園が大きく変わることがありました。
一つは元禄大地震で、元禄16年(1703)に起きた元禄大地震は、後楽園にも被害をもたらし、水流が破壊されただけでなく、中島の徳大寺石も倒壊するなどの被害が生じたそうです。
また、その前年の元禄15年には、5代将軍綱吉の生母桂昌院が後楽園を訪れた際に、78歳の桂昌院が歩行に困らないようにと多くの奇岩や大石が取り除かれてしまいました。
青で囲った部分が今日紹介した場所です。


