今日は、その失われた建物の跡を紹介します。
【唐門】 唐門は、内庭と後楽園との境にあった門です。
正式の後楽園の回遊の仕方は、唐門から入り、唐門から大泉水へ向かう道順でした。
しかし、太平洋戦争の戦災で焼失してしまいました。
【清水観音堂跡】 京都の清水寺を模して造ったもので、崖下から柱を組み上げせり出していてすばらしい見晴らしだったと言われています。
堂内には、室町時代の作を言われる如意輪観音が安置されていましたが、関東大震災によえい堂が焼失する直前に持ち出されて、現在東京都が管理しています。
【西行堂】 作庭当時からあった堂で、中国風の舗石が敷かれ、鞍打師の小野荘兵衛作の西行法師の木像が安置されていました。
この堂の右に、西行の歌碑がありますが、9代藩主斉昭夫人が建てたものです。
【八卦堂】 徳川光圀が7歳の時初めて3代将軍家光に謁見した折、さまざまな品物を見せて、その中から好きなものを取ってよいといわれて「文昌星」の像を取り上げたため、家光は大変感心したといわれています。
光圀は、「文昌星」を思い起こし、八卦堂を造って安置したといわれています。
この八卦堂も関東大震災の時に焼失してしまいました。
【琴画亭跡】 園の東北部には、当初「河原書院」という建物がありましたが、享保の頃に火災で焼失してしまいましたが、その後再建されませんでした。
その代わりに建てられたのが琴画亭です。
その琴画亭も現在はなく、手水鉢(写真の中央奥)だけが、その名残りをとどめています。
青で囲ったところが失われた建物跡です。


