江戸時代は、飯田橋駅もちろん飯田橋もはありませんでしたが、現在では飯田橋駅周辺で江戸の名残りのある所という方がわかりやすいことになります。
【神楽坂】 牛込門跡から新宿区側に牛込橋を渡って外堀通りを横断すると、神楽坂です。
花街としても知られ、現在でも料亭などが多いのですが、花街として栄えるようになるのは明治以降の話です。
「神楽坂」の名前の由来について、「江戸名所図会」(天保7年)には
『この坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、あるいは、津久土明神が田安の地から今のところに遷座する時に、この坂にて神楽を奏したからとも、若宮八幡の社が近く、常に神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれる』 と書いてあります。
【軽子坂】 揚場町と神楽坂2丁目の境を西に上る坂が軽子坂です。神楽河岸と呼ばれる船着場に揚げられた多くの荷物は「軽子」の手で運ばれました。
「軽子」は軽籠持ちの略称で、揚場で働いた人たちで、船荷を軽籠(縄で編んだもっこ)に入れて運搬することを職業としていた人たちです。
その軽子がこの辺りに多く住んでいたことから軽子坂の名前がつけられました。
江戸名所図会には、「逢坂(おうさか)」という名称で説明されています。
【揚場跡の碑】 飯田橋駅近くの「けやき橋」横に「牛込揚場」の碑があります。
その碑には、「江戸時代には海からここまで船が上がってきた。全国各地から運ばれてきた米、味噌、醤油(しょうゆ)、酒、材木などがこの岸で荷揚げされたので、この辺は揚場と呼ばれていた」とあります。
川岸の神楽坂横の軽子坂北側一帯は揚場町(あげばちょう)としてそのままの名を残しています。
ピンクが牛込門のあった所、赤が神楽坂、緑が軽子坂、青が揚場跡の碑です。

