現在の我々には、鶴を食べるなどということは思いも寄りませんが、江戸時代には、天皇、将軍、大名などごく限られた人たちの間で、鶴は、上等な食べ物として食されていました。
元禄8年(1695)に刊行された、人見必大(ひとみひつだい)が書いた「本朝食鑑」では、
『これは、鶴が仙禽(仙人の家に棲む鳥の意味か?)であり、上瑞(非常におめでたいの意味か?)多寿(ながいき)であるためである』 と書いています。
また、大言海にも、『長寿瑞祥の鳥とし、肉を饗膳の珍奇なるものとす』と書いてあります。
鶴は千年生きると考えられていたため、その長寿をいくらかでも分かち与えてもらうということだったのではないかと思います。

本朝食鑑では、鷹狩で捕らえて鶴を朝廷に献上した後、饗宴を開いて諸大名に鶴をふるまっていた様子を次のように書いています。
『我が国で鶴を賞して上餞としたのは、いつから始まったものかわからない。
ちかごろ江戸では鷹を放って鶴を捕らえている。
鶴のくちばし・脚ははなはだ強く、みだりに当たることはできないので、鶴を撃てる鷹はすくなく、能く撃てる鳥は鶴の鳥と呼ばれて、常に倍して愛される。
鶴は冬鳥として秋のおわりから冬の初めに渡ってくるが、このときにとられた鶴は、初鶴と称し、公候(大名の意か)より江戸に献上される。
江戸の鷹匠も、鶴を撃って献上しており、いずれも初めて撃ったものを朝廷に奉上し、その他のものは一族や大名に賜っている。
将軍家一族や大名は、大饗宴を設け、群賓を会し、賜り物の鶴を拝賞するのである』

江戸時代は、鶴が年末に朝廷に献上されることは、一般庶民もよく知っていたようです。
次のような 鶴の朝廷献上についてうたった川柳が数多くあります。
千年を 毎年京へ献ぜられ (千年とは、鶴を指している)
千年の貢ぎ 万代の不易なり
東海道五十三次を行く鶴の献上をうたったものもあります。
ほんとうに 飛ぶより早い 暮れの鶴
死せる鶴 行ける人馬を 走らしむ

