本朝食監に、宮内省式部職編「放鷹」に書かれている鶴の鷹狩についての注釈がありました。
「鶴の御成り」と呼ばれて特別の扱いがされていた鶴の鷹狩りの様子がよくわかりますので、その内容を紹介します。

鶴の御成りは将軍家の鷹狩中最も厳粛なもので、9代将軍家治が将軍になった時に始まりました。(実は、鶴の御成りは、それ以前から行われていました)
その時獲った鶴を朝廷に献上し、それ以来恒例となりました。獲る鶴は4羽まででした。
午の上刻に始め、午後八ツ時に至るとも鶴が捕らえられないときは将軍も昼ごはんをたべないほどでした。 もし将軍が鷹狩にいけない場合には、御名代を派遣しました。
当日鶴をとった鷹匠には金5両、鷹をおさへたものには金3両が褒美としてあたえられました。
捕らえた鶴は鷹匠が刀でもって、将軍の御前にて、左腹の脇を開き肝を出して鷹に与え、その跡は縫い合わせます。
昼ごはんの時に菰樽2丁を開けて、鶴の血を絞り入れた鶴酒をお供の人に賜ることも後には恒例となりました。

続いて、諸侯の鶴の拝領についても説明が次のようにされています。
鳥の中で最も重んぜられたのは鶴でして、そのご拝領は尾張紀伊水戸の三家では当主はもちろんそのご隠居ならびに嫡子にも及びました。
その上使には両御番頭の内より選定して、その屋敷に行ってこれを賜い、もし在国の時には宿次奉書を以てこれを進めました。
次に加賀藩、薩摩藩、仙台藩の三雄藩には当主にかぎって、鶴拝領がありました。
御使番が上使となってこれを贈りました。
その他の国持大名ならびに准国持大名は在府の時は賜らないで、在国の時、宿次奉書を以て代々与えられ、これを受けることが家の名誉の一つとでした。
このように鶴の鷹狩りの様子が詳しく書かれています。

