今日は、「龍眼寺」と「天祖神社」についてです。
龍眼寺は、普門院から歩いて約7分です。亀戸駅からは18分程度かかります。
今回は、龍眼寺を先にお参りしましたが、天祖神社を先にお参りする方法もあります。
【龍眼寺 布袋】

龍眼寺は天台宗のお寺です。
創立は、応永2年(1395)開山は良博(りょうはく)大和尚です。
当初は「柳源寺」と呼ばれたが、その後、「龍眼寺」と改められました。39世元珍が萩を好み、元禄6年(1963)に境内に萩を植えました。
その後、明和7年(1770)住持義梅がさらに萩を増殖したので、萩寺と称されました。
【冬の萩のトンネル】 江戸名所図会にも「庭中 萩を多く栽えて中秋の一奇観たり、ゆえに俗呼んで萩寺と称せり。」と書かれています。
今は冬ですので、萩は全く咲いていませんでした。
秋には萩が盛りになる萩のトンネルも写真の通り寒そうにしていました。
【布袋堂】 境内には、布袋堂のほか、不動堂や地蔵堂もあります。
門を入ると右手正面が地蔵堂、次いで布袋堂、その奥に不動堂、一番奥が本堂と並んでいます。
この布袋堂は、比叡山延暦寺の根本中堂の背後に建つ八部院堂を模したものだそうです。
【布袋】 今日のお参りした七福神の中で、布袋さまだけがご開帳されていました。
布袋様は木造でした。
布袋堂脇の説明板には、「七福神唯一の実在の人」と説明されていました。
【庚申塔】 境内に万治2年(1659)に造立された角柱形の庚申塔があります。
説明板には次のよう書いてありました。
「高さ103.0cm、最大幅30.6cmで、正面上部に3つの種子がありその下に三猿が並び庚申塔は庚申信仰の一形態として造立される石塔です。
庚申信仰は庚申の日に人の体内に棲む三尸が天に昇って天帝にその人の罪を訴えるのを阻止するために、その夜を眠らずに過ごして健康や長寿を願う信仰です。」
【天祖神社 福禄寿】
龍眼寺の後、天祖神社に行きました。天祖神社まで3分です。天祖神社は、説明板によると、「創立年代は明らかでないが、推古天皇の時代に建てられ、聖徳太子の神体がまつられていたと云われています。」
江戸名所図会を見ると、天祖神社そのものの記事はありませんが、殖髪(うえかみ)聖徳太子堂が、現在の天祖神社にあたると思われます。
江戸名所図会には「亀戸天満宮の裏門の通り、川端に傍(そ)いて、慈雲山龍眼寺といえる天台宗の寺境に安置す。」と書かれています。
【福禄寿堂】 福禄寿堂は、山門を入り右手にあります。
手水舎の後ろにあるので、すぐには見つからないかもしれませんが、手水を使う際には気がつくと思います。
なお、説明板に「天正年間(1573~)悪病が大流行したとき、織田信長がこの神社で流鏑馬の行事を行わせたところ、たちまち収まったので、以来病気を治す神社として有名になりました。現在でも毎年9月16日の祭事として、子どもによる歩射(びしゃ)が行われています。」と書かれていました。
この歩射(びしゃ)とは的の前に歩み進んで弓で的を射ることです。
流鏑馬は、場所の確保の問題や危険があるため歩射(びしゃ)に変えたようです。

