坂本龍馬は、京都から定宿としていた伏見の寺田屋に1月23日に帰ってきます。
坂本龍馬が、寺田屋に入ったことは、密偵の探索により伏見奉行所の知るところとなります。
そして、伏見奉行所の捕り手が寺田屋に向かい襲撃しました。
この出来事については、坂本龍馬、寺田屋の女将お登勢、そして後に龍馬の妻となるお竜の証言がそれぞれあります。
龍馬について書いた多くの本が、襲撃の様子がよくわかるとして、そのまま引用していますので、ここでも手紙等を引用します。
【龍馬の兄あての手紙】
まず、龍馬自身が、襲撃の約10ヵ月後の慶応2年12月4日に兄の坂本権平にあてた手紙で、襲撃のことを書いています。
「上ニ申伏見之難ハ去ル正月23日夜八ツ時半頃なりしが、一人の連れ三吉慎蔵と咄して風呂より揚り、最早寝んと致し候処に、ふしぎなる哉 此時二階居申候 人の足音のしのびしのびに二階下をあるくと思ひしに、六尺棒の音からからと聞ゆ、おり柄兼而御聞に入し婦人 名は龍今妻也。勝手より馳セ来り云様、御用心被成べし不謀敵のおそひ来たりしなり。鑓持たる人数ハ梯の段を登りしなりと、夫より私もたちあがり、はかまを着と思ひしに次の間に置有之ニ付、其儘大小を指し六連炮を取りて、後なる腰掛による。
連れなる三吉慎蔵ハはかまを着、大小取りはき槍を持ちて是も腰掛にかかる。間もなく,壱人の男 障子細目に明ケ内をうかがふ。見れば大小指込なれバ、何者なるやと問しに、つかつかと入り来れバ、すぐに此方も身がまへ致セバ、又引取りたり。早次ギの間もミシミシ物音すれバ龍女に下知して、次の間又後の間のからかみ取りはづさし見れバ、早拾(10)人斗(ばか)り槍持て立並びたり、又盗賊燈灯二ツ持、又六尺棒持たる物其左右に立ちたり。」
【お龍の証言】
龍馬の妻のお龍は寺田屋の養女です。左の写真は32歳ごろのお龍ですが、典型的な京美人だったそうです。
さて、龍馬襲撃の時お龍は、裸で龍馬に急を知らせたということになっていますが、それは、どうも眉唾のようです。
当の本人は「千里駒後日譚」で、捕り手が来たときの様子を次のように語っています。
「お登勢は次の室で小供に添乳をし乍ら眠って居る様子ですから、私は一寸と一杯と風呂に這入って居りました。
処がコツンコツンと云う音が聞こえるので変だと思って居る間もなく風呂の外から私の肩先へ槍を突出しましたから、私は片手で槍を捕え、態(わざ)と二階へ聞こえる大声で、女が風呂に入って居るに槍で突くなんか誰れだ、誰れだと云うと、静にせい騒ぐと殺すと云うから、お前さん等に殺される私ぢゃないと庭へ飛下りて濡れ肌に袷を一枚引っかけ、帯をする間もないから跣足(はだし)で駆け出すと、陣笠を被って槍を持った男が矢庭に私の胸倉を取て (中略) 裏から二階へ上がれるかと云うから、表から御上がりなさいと云えば、ウム能く教えたとか何とか云って表へバタバタと行きました。
私は裏の秘密梯子から駆け上がって、捕り手が来ました。ご油断はなりませぬと云うと、よし心得たと三吉さんは起き上がって手早く袴をつけ槍を取って身構へ、龍馬は小松さんが呉れた6連発の短銃を握って待ち構えましたが、敵の奴等は二階梯子の処まで来て、なにやらガヤガヤ云う斗進んでは来ないのです。」
ここで一寸注釈、龍馬が持っていてピストルについて、お龍は小松帯刀がくれたと言っていますが、高杉晋作がくれたものとも言われています。
【お登勢の龍馬あて手紙】
さらにもう一人。寺田屋のお登勢(右の写真)は、勝海舟によれば「寺田屋は龍馬このやどに居ることしばしばなり、此の時の主婦は奇女にて龍馬を能くしれり」と言われた人です。
そのお登勢が龍馬にあてた慶応2年1月下旬推定の手紙では次のように書かれています。
「その夜八ツ時ごろ風呂からあがって火鉢にあたっていると、ちょっと頼むと表から戸を叩くものがあり、あけてみると、うしろはちまき抜身の槍にて大よそ百人計もならび居り誠に々々びつくり致し居り候へ共、何事にて御座候と尋ね候へば、其方の二階に両人のさむらひが居るよしたしかに聞候。ありていに申すべしと申ゆえ、もはやかくすこともならず真の通り二階においでなされ候と申候へば、どうして居ると尋ね候故、まだねずにお咄しなされ候へば、夫れより捕手の人が大いに心配致し、どうしよこうしよといろいろ恐れ、だれいけかれいけとそのこんざつはいはんかたなく、其女が思ひ候には、こんな人が幾万人捕手にかかるとも其両人の人にはしょせんかなはずという事、心の内に思い、此だん安心致居申候」
と書いてあるそうです。
【龍馬助かる】
3人の証言からすると伏見奉行所の捕吏たちは恐る恐る襲撃に向かったようですね。
しかし相手は大勢ですので、坂本龍馬と護衛役の長州の槍の使い手三吉慎蔵は、斬り死にするのではなく襲撃から逃れることにして、隣家の庭に飛び降り、隣家を走りぬけ、辛くも逃げることができました。
二人は貯木場に隠れ、龍馬は負傷していたため、三吉慎蔵が伏見の薩摩屋敷に助けを乞いに走り、伏見屋敷の留守居役大山彦八が龍馬を助けに貯木場に出向き、救出しました。
京都の薩摩屋敷にいた西郷はみずから救出に出向こうとしたが皆から止められ、京都屋敷の留守居役吉井幸助が銃で武装した歩兵一個小隊を連れて京都の薩摩屋敷に保護しました。
その後、坂本龍馬とお龍は結婚し、3月に鹿児島に一緒に旅行しています。これが日本の新婚旅行の第一号と呼ばれています。