今日は、その中で、幕末の2人の有名人すなわち「坂本龍馬」と「山岡鉄舟」との関係について書いてみます。
【清河八郎と坂本龍馬】
清河八郎と坂本龍馬は、剣の試合をしたことがあるそうです。清河八郎は千葉周作の玄武館、坂本龍馬は千葉周作の弟千葉定吉の桶町道場と剣術を学んだ道場はちがいますが、同じ北辰一刀流を学びました。
安政5年(1858)のある時期に、親善なのか稽古なのかは定かではありませんが、清河八郎と坂本龍馬が試合をした記録が残っているのだそうです。
結果は清河八郎が圧勝だそうです。年齢(清河29歳、龍馬24歳)と経験の差はあるものの、一片の隙も無い清河八郎に圧され、龍馬は八郎から1本も取ることが出来なかったそうです。
龍馬は『虎尾の会』にもその名を連ねているとのことですので、一時は、清河八郎の考えに共鳴していた時もあったのだと思います。
この話は、本には書かれていませんが、庄内町が作成しているホームページ「回天の魁士清河八郎」の『清河八郎と坂本竜馬』という中に掲載されています。詳しくは、そちらをご覧ください。
HP管理人のAさんの説明では、前記の話は、「清河八郎記念館」の斎藤館長のお話だそうです。
【清河八郎と山岡鉄舟】 清河八郎と関係の深い人物に、山岡鉄舟(鉄太郎)がいます。
山岡鉄舟は、天保7年(1836)に小野朝右衛門の四男として生まれました。
幼少時から剣術を学び、20歳の時に、忍心術の槍をよくする旗本山岡静山の弟子となりました。
山岡静山は27歳で急死したため、静山の実弟・山岡謙三郎(高橋泥舟)らに望まれて山岡家の養子となり、静山の妹・英子(ふさこ)と結婚しました。
従って、幕末三舟といわれる勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の三人の中で山岡鉄舟と高橋泥舟は義兄弟ということになります。
なお、高橋泥舟は山岡家に生まれましたが、母方の高橋家を継いだため高橋姓となっています。
山岡鉄舟は、清河八郎が主催する「虎尾の会」のメンバーでもあります。
そして、浪士組が上京する際には、浪士組取締として一緒に上京し、浪士組が江戸に呼び戻された時にも一緒に戻っています。
さらに、清河八郎が討たれた際には、八郎の首をしばらく自宅に保管するという程、親密な関係でした。
【山岡鉄舟旧居跡】
山岡鉄舟の旧宅は、東京メトロ「茗荷谷」駅2番出口から徒歩5分の場所にあります。旧居の向かい側は播磨坂の桜並木です。
写真の奥のマンション2つ並んでいる場所が山岡鉄舟の旧宅でした。
手前にあるのが文京区教育委員会の説明板です。
高橋泥舟の旧宅は、鉄舟の旧居の北西隣にありました。
上記の坂本龍馬および山岡鉄舟像は「国立国会図書館蔵」です。

