禅定院のご住職に密蔵院までの近道を教えていただいたので、3分で到着しました。
41番 密蔵院(みつぞういん)
【冠木門がお出迎え】
密蔵院は、禅定院の真北にあります。
目の前は百観音公園となっていて、公園に面して、お寺には珍しい冠木門が建っています。
密蔵院は、創建時期ははっきりしないそうですが、戦国時代、小田原城内に創建され、北条氏直の祈願寺だったそうです。
慶長16年(1611)江戸の矢ノ倉(現在東日本橋1丁目)に移り、さらに正保元年(1644)浅草の新寺町に移転しました。そして、明治43年(1910)現在地に移転したそうです。
【開放的な本堂】
関東大震災では本堂ほかの建物が全焼し、その後、壇信徒の協力により再建されましたが、第二次大戦の戦災により再び焼失し、昭和25年(1950)現在地に本堂が再建されました。
その本堂は開放的で、本堂に昇って読経できました。
ご朱印をお願いしたら、ご住職が「南無大師遍照金剛」と御法号をお唱えしていただいた後に渡してくれました。
密蔵院の宗派は御室派ですので、大変珍しいですねとご住職に尋ねると、東京では湯島の圓満寺(御府内八十八ヶ所の32番札所です)とともに2ヶ寺だけだそうです。
また、ご住職の話によると、東京には江戸時代には御室派の寺院はたくさんあったそうですが、多くの寺院が豊山派に転じたそうです。
また、醍醐派の寺院は智山派に転じたところが多く、これを称して、「豊山は御室、智山は醍醐」というとのことでした。
【ご本尊は勝軍地蔵】
密蔵院のご本尊は勝軍地蔵菩薩です。
勝軍地蔵菩薩とは、地蔵菩薩の一で、これに念ずれば、戦いに勝つといわれ、鎌倉時代以降特に戦国時代に武家に信仰されたお地蔵様です。
密蔵院の勝軍地蔵菩薩は甲冑を着て、馬に乗っていました。残念ながら写真撮影は遠慮しました。