文化交流も行われました。饗応や贈り物を通じた文化交流もかなり盛んに行われました。
今日は、日米の饗応の様子を書いてみます。
【アメリカ側の饗応】
アメリカ側では、3月27日に交渉団を旗艦ポーハタン号の上でパーティーを開催し接待しました。
牛肉、羊肉、鶏肉の料理が準備され、スープやシチューが用意され、ハムも出され、お酒はワイン、シャンパン、リキュールなどが出されたようです。
「ペリー艦隊日本遠征記」には次のように書かれています。
また、右の写真のように日本側を招待しての黒船艦上での接待の図も掲載されています。(下田「了仙寺」蔵)
甲板の日本人一行は、各艦船から集まった大勢の士官に歓待され、シャンペン酒、マディラ酒、パンチを浴びるほど振舞われて、すっかりにぎやかになった。彼らはこれらの酒が大いに気に入ったようだった。日本人たちは率先して健康を祝う乾杯の音頭をとり、斗酒なお辞せず飲み干した。彼らの張り上げる声のかたたましさたるや、勇壮で軽快な曲を奏で続けて宴を盛り上げている軍楽隊の音楽もかき消してしまうほどだった。要するに、それはいぎやかな歓楽の光景であり、お客に大いに楽しんでもらえたということだ。
非常ににぎやかに宴会が進み、交渉団が大いに楽しんだ様子がよくわかります。
どうやらドンチャン騒ぎになったような気もします。
最後には、日本人はご馳走の残り物をふところにいれて持って帰り、酔っ払ってペリーに抱きついた人もいたことも記録されています。
【日本側の饗応】
これに対して、日本側は、刺身、焼き魚、野菜の煮物、ご飯、吸い物といった純和風料理で接待したそうで、そのレベルは、将軍が食べる料理のレベルだったようです。
それを今忠実に再現すると一人当たり30万円以上はかかるような御馳走だったそうです。
右写真は、天狗のような容貌から「天狗ペリー」と呼ばれているペリー像です。(下田「了仙寺」蔵)