今日は、「ペリー艦隊日本遠征記」に残されている吉田松陰の話を紹介します。
吉田松陰の密航については、アメリカ側でもしっかり記録をとってあります。「ペリー艦隊日本遠征記」に記載されているのです。
「ペリー艦隊日本遠征記」には次のように記載されています。
【ミシシッピ号の対応】
午前2時ごろ蒸気艦ミシシッピ号の艦上で夜間当直をしていた士官は、舷側について小舟から聞こえてくる人声に呼び起こされた。舷門に行ってみると、2人の日本人がすでに舷側の梯子を登ったところだった。話しかけると、乗艦させてほしいと身振りで示した。
彼らはなんとしても艦上にとどまることを許可してほしいと願っているらしく乗ってきた小舟を惜しげもなく放棄する意思を表して、海岸には戻らないとの決意をはっきり示した。ミシシッピ号の艦長が旗艦に行くように指示すると彼らは小舟で引き返して、すぐさま旗艦に漕いでいった。
港内の波が高かったため、いくぶん苦労しながら旗艦に達し、梯子にすがって舷門を登るやいなや、故意か偶然か、小舟は舷側を離れて漂い去った。甲板に着くと、士官が提督に2人の日本人が現われたことを報告した。
【ペリー提督が拒絶】 提督は通訳を送り、2人と話し合い、不意の訪問の目的を聞き出させた。彼らは素直に自分たちの目的は合衆国に連れていってもらうことであり、そこで世界を旅して、見聞したいという願望をはたしたいのだと打ち明けた。・・・ 舟を漕いできたため、2人ともひどく疲れているようだった。
彼らが立派な地位にある日本の紳士であることは明らかだったが、その衣服はくたびれていた。
2人とも二本の刀を帯びる資格があり、ひとりはまだ一本をさしていたが、残りの3本はすべて小舟の中においてきたので、舟とともに流されてしまっていた。
彼らは教養のある人物であり、中国語を流暢かつ端麗に書き、物腰も丁重で非常に洗練されていた。
提督は彼らの来艦の目的を知ると、自分としても何人かの日本人をアメリカに連れていきたいのはやまやまだが、残念ながら2人を迎え入れることはできないと答えさせた。
提督の回答に二人は大変動揺して、陸に戻れば首を斬られることになると断言し、とどまることを許してもらいたいと熱心に懇願した。・・・・ この願いはきっぱりと、しかし思いやりを込めて拒絶された。長い話し合いが続いた。
結局、一艘のボートが降ろされ、送り帰されることになった。
以上が、「ペリー艦隊日本遠征記」の記載です。
ポーハタンに乗り込んだ吉田松陰の様子が非常にリアルに描かれています。
なお、ペリーの肖像画とポーハタンの図は、下田の「了仙寺」が所蔵しているものです。

