【三囲神社の由来】
三囲神社の創建がいつであるかははっきりしませんが、南北朝時代の文和年間に三井寺の源慶というお坊さんによって再興されたとされています。
源慶がこの地にきて、小さな祠のいわれを聞き、その修復をしようと土を掘ったところ、壺が出土しました。
その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐に跨った年とった神様の像がありました。
このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神様の像の回りを3回廻ってまたいずこへともなく消えて行きました。
三囲の名前はこの話に由来しています。
【三囲神社と越後屋】
三囲神社は、江戸時代から、三井家や越後屋に深く信仰されてきました。
江戸時代には、日本橋の越後屋から毎日手代がお参りに来ていたという話もあります。
なぜ、三井家が三囲神社を崇拝したかですが、いくつか理由が考えられます。
まず第1に、この地は、日本橋の越後屋からみて、鬼門の方向(すなわち東北の方向)にあったので、鬼門を守る神社であったからという理由です。
第2に、三囲の漢字が三に囲むですので、三井を守ると読めるということのようです。
こうしたことから、三囲神社には、江戸時代から、三井家、越後屋そして三越から寄進奉納されたものが数多くあります。
◎池袋三越のライオン(右上の写真)
三越池袋店は昨年5月に閉鎖され、そこに置いてあったライオン像が昨年10月に三囲神社に寄進されました。
◎三囲のコンコンさん (右中の写真)
「三囲のコンコンさん」と呼ばれている、狐の像です。台座に「向店」と書かれています。
越後屋で綿織物関係を取り扱っていた「向店(むこうだな)」 の関係者が寄進したものです。
◎三角鳥居(右下の写真)
三角形をした珍しい鳥居で、三井家にあったものが移されたといいます。
原形は、京都の太秦の木島(このしま)神社にあります。
宮司さんのお話では、全方向から中心にある泉(この場合は井戸)を拝めるようにするための鳥居だと言うことでした。
このほか、次のようなものが寄進されています。
◎恵比寿大黒天
隅田川七福神の一つです。これも三井家にあったものです。
◎顕名神社
顕名神社は三井家の祖先の霊をお祀りしている神社で、麻布の三井家から寄進されたものです。
【雨乞いの句碑】
夕立や 田をみめぐりの かみならば という有名な句が刻まれています。
この句は、榎本其角が詠んだものです。
榎本其角は、芭蕉の高弟で、江戸では服部嵐雪とならんで双璧と呼ばれていた俳人です。
元禄6年の旱魃の時に、榎本其角が、三囲神社に雨乞いをする人たちに代わって、この句を読んだら 翌日に雨がふったそうです。
この句碑そのものは、江戸時代にあった句碑を、明治6年に再建したものです。