清水門は、東京メトロ「竹橋」駅1番出口から7分、「九段下」駅4番出口から5分のところにあります。
【清水門は重要文化財】
清水門は北の丸の東門です。
門の名前については,昔この辺りに清水が湧き出ていたからとも、また、古くはこの辺りに清水寺があったことから、その名をとって清水門と称したともいわれています。
内堀通りから高麗門に入る道は、土橋となっています。
これは、右側の牛ケ淵と左側の清水濠の推移が違うため、土橋にダムの役割を持たせているためです。
そして、土橋の間に、木橋がかかっていて、竹橋側から、土橋を見ると、水が流れ落ちることができるようになっています。
清水門は、昭和36年重要文化財に指定されています。江戸城の門で、重要文化財に指定されているのは、「清水門」「田安門」「桜田門」の三つです。
【高麗門を入ると右に渡櫓門】
元和6年(1620)に東北諸侯により構築されました。
その後、枡形は寛永元年(1624)に浅野長晟により改修されました。
扉釣具の銘には万治元年(1658)とあるそうですが,これは江戸城の総曲輪の大工事を行ったついでにこの門を修復した年であると考えられています。
清水門の枡形は、高麗門から入ると右に折れた所、渡櫓門があります。
この写真では、右側に高麗門が、左側に渡櫓門が写っています。
【高麗門の左は、すぐに濠】
しかし、高麗門から入った左側には石垣がなく、すぐに清水濠となっています。
これは、枡形の対岸の石塁から攻撃したり、侵入した敵を清水濠に追い落とすための構造と思われます。
この写真は、清水門の上の石垣から撮った写真ですが、写真左側に高麗門がありますが、右側の清水濠側には石垣がないのがわかると思います。
【清水邸跡は、現在、武道館】
宝暦9年(1759)、9代将軍家重の次男重好を清水門内に分家させ、御三卿の一つ清水家が興されました。
清水家の屋敷地は、江戸城清水門内で田安邸の東、現在の北の丸公園・日本武道館付近にありました。
将軍家茂との結婚のため江戸に下向した和宮は、江戸到着の際に、まず最初に清水邸に入っています。