今日は、半蔵門から桜田門へのかけての、お濠の景観について書いていきます。
【桜田濠】
半蔵門と桜田門の間のお濠は、桜田濠と呼ばれ、お濠と土手と松と石垣そして近代的なビルが組み合わさって東京でもすばらしい景色の一つだと思います。ここは、江戸城で最も広い濠で、幅の広いところは約115メートルあるそうです。
桜田濠は弁慶濠とも呼ばれます。
広重の名所江戸百景では、「外桜田弁慶堀糀町」という題名で、桜田濠が描かれています。
【鉢巻石垣と腰巻石垣】
この桜田濠と半蔵門濠は、最上部が石垣で、下部が土塁となっています。
この上部の石垣は、鉢巻石垣と呼ばれます。下部の濠と接するところにある石垣は、腰巻石垣と呼ばれています。
こうした、鉢巻石垣と腰巻石垣は、石材の少ない場合の資材節約法として、こうした石垣が採用されると一般的には言われます。江戸城の場合も、そのような事情があったのかもしれませんが、次のようなおもしろい説もあります。
桜田濠が全部石垣でないのは、「西は、元来味方の地である。江戸に将軍がいるのは東北鎮撫のためであるから、西の方面の防備を厳しくする必要はない。」との家康の意向によるものであるという説です。
【柳の井戸】
その桜田濠沿いに、三宅坂を桜田門に向かって歩くと、半蔵門と桜田門の中間あたりの道路脇に「桜の井戸と柳の井戸」という説明板あります。その説明板の下の濠端に、「柳の井戸」があります。
現在は、道路から濠端には降りていくことができませんので、はるかに遠望するのみです。
写真は、土手のうえから、柳の井戸を写したものです。柳はしっかりわかりますが、井戸までは、残念ながら見えません。
江戸名所図会には、
『若葉の井は同所御堀端番屋の裏にあり、柳の木をうえしゆえに柳の水ともいへり。」
と書かれています。そして、「柳の井」の挿絵もあります。
【桜の井戸】 また、内堀通りをはさんで反対側には、「桜の井戸」があります。
こちらは、彦根藩井伊家の上屋敷表門の脇にあったものです。
江戸名所図会に 『井伊候の藩邸表門の前、石垣のもとにあり。亘り九尺ばかり、石にて畳し大井なり。釣瓶(つるべ)の車三つかけならべたり』と書かれていて、こちらもやはり挿絵がのっています。
井伊直弼も、表門を出入りする際には眺めたこともあったのでしょう。
現在は、桜の井戸は、国会議事堂前の国会前庭の内堀通り脇にあり、石枠や史跡説明板が一緒にあります。こちらは容易に見学できます。

