桜田門は、JR有楽町駅から歩いて12分程度、また、東京メトロ有楽町線「桜田門」駅からですと、3蕃出口を出ると目の前です。

桜田門は正式には「外桜田門」と言います。「外」に対する「内」があり「内桜田門」は「桔梗門」のことを言います。
しかし一般には「桜田門」といえば、「外桜田門」のことを指すようになっています。
小田原街道の始点にあたり、小田原口ともよばれていました。
桜田門は、寛永13年(1636)に東北の諸大名により築造されました。

現在の扉の釣金具には「寛文3年(1663)」の銘が入っているとのことですので、現在の門は築後約350年たっています。、重要文化財に指定されています。
その歴史を感じさせる門扉です。
【枡形門】
桜田門は、枡形が完全に残っている城門のひとつです。
枡形門とは、広場が米を計る枡の形をしているからといわれています。その他、城内の兵士を城外の戦場に出兵する際に、その兵士の量を計って、送り出すところから枡形という名前がついたという説もあります。
城内側の門を第一門、外側を第二門と名づけられました。
第一門は、櫓門であることが大部分です。第二門は、高麗門と呼ばれます。
櫓門とは、階下が門、階上が櫓となった防御力の高い門です。
高麗門とは、加藤清正が、朝鮮からアイデアを得て日本に伝えてという話がありますが、これは作り話だそうです。
【巧妙な枡形】
桜田門は、高麗門から入って左手側は三分の二は塀があるが、残り三分の一と前面には塀がありません。

また、広場になだれこんだ敵兵を前面の濠に落ち込ませるためです。そういう策略からわざと塀を全部にめぐらせないのです。
左側三分の二に塀があるのは、前面に濠があることを外からわからないようにするためです。
写真は、桜田門の高麗門を入った左側の様子です。
土塀が途中で切れているのがわかりますでしょうか。

この写真は、高麗門ごしにみる警視庁です。
現在の警視庁がある場所は、江戸時代には、豊後杵築藩松平家上屋敷でした。
この屋敷の前で、安政7年(1860)3月3日、井伊直弼が江戸城へ登城する際に、水戸などの浪士に襲撃されました。
いわゆる桜田門外の変です。桜田門外の変については以前書きましたので、こちらをご覧ください。