日比谷門は、現在の日比谷交差点より少し桜田門に寄ったところにありました。
【日比谷門の遺構】
その日比谷門の遺構が、日比谷公園の中にあります。日比谷公園正門を入り、少し直進すると左側にある石垣が日比谷門の遺構です。
日比谷門の遺構は、JR有楽町駅日比谷口から歩いて5分のところにあります。
日比谷門は、寛永4年と寛永6年に、浅野長晟と伊達政宗により構築されています。
日比谷門は、高麗門が、桜田門に近いほうにあり、櫓門は、日比谷公園側に高麗門と直角の位置にありました。
つまり、桜田門のほうが、門外となっていて、有楽町駅側や丸の内を守る形となっていました。
この門の前には、橋がもうけてなくて、江戸城の見附としては少数派になります。
【日比谷公園の心字池はもとは内濠】
徳川家康が入国したころは、日比谷は海でした。それを埋め立てて、現在の丸の内や日比谷ができました。そして、その海の一部を利用して、内濠としました。
その内濠の一部が、現在、前述の石垣の西側にある心字池です。
青サギが休んでいたりして、都会の中のオアシスとなっている所が、昔の江戸城の内濠だったなんて、何人の人が知っているのでしょうか?
【首かけイチョウ】
現在の日比谷公園は、明治36年に開園した日本最初の近代的西洋式公園です。
江戸時代には肥前佐賀藩鍋島家や長州藩毛利家などの上屋敷でした。そこが、明治維新後は練兵場になります。
その後、練兵場が移転し、日比谷公園となったのです。
この公園をつくったのは、本多静六博士です。
本田静六博士は、日比谷公園ができる前の明治32年頃、日比谷門近くにあり、道路拡幅のため伐採されそうになった「オオイチョウ」の移植に成功しています。
このオオイチョウの移植は大変難しく不可能だろうといわれていました。
それに対して、本多静六博士は、「自分の首にかけても移植する」という決意をもって、移植に取り組んだそうです
そして、見事に移植に成功し、オオチチョウは現在も公園内で元気に枝を伸ばしています。
それが、日比谷公園の「松本楼」の目の前にあるオオイチョウです。
このイチョウは、本多静六博士が「首をかけて移植したことから、「首かけイチョウ」とよばれています。

