前回までで日比谷門までご案内しましたので、今日は馬場先門をご案内します。
馬場先門は、東京メトロ「二重橋」2番またはB6番出口を出た場所にあります。JR東京駅または有楽町駅からは意外と時間がかかり徒歩10分ほどかかります。
【名前は朝鮮馬場があったことに由来】
馬場先門は、開幕当時は門はありませんでしたが、寛永6年(1629)に、枡形と門が浅野長晟と加藤忠広により構築されました。枡形は、右折枡形となっていました。
馬場先門の名前は、3代将軍家光が、寛永12年に、朝鮮人の曲馬を門内の馬場で見たことから朝鮮馬場と呼ばれ、それがいつのまにか馬場先と呼ばれるようになったためといわれています。
その後、門は閉じたままで士分の通行も許さなかったので、不開門(あかずのもん)と呼ばれていましたが、寛文8年(1668)の大火後開放し通行できるようになりました。
門は、明暦の大火で焼失し、万治3年(1660)に再建され、その後明和9年(1773)にも焼失し翌年再建されました。その門も明治9年に撤去され、現在は、鍛冶橋から内堀通りにいたる道路が拡幅されており、門の遺構はありません。
【八重洲はヤン・ヨーステンから】
右の写真は、馬場先門跡から見る帝国劇場や第一生命ビルです。
この写真の日比谷門から馬場先門に至る内濠は、江戸時代、八代洲(やよす)河岸と呼ばれていました。
八代洲とは、オランダ人航海士のヤン・ヨーステンにちなむ名前です。ヤン・ヨーステンは、慶長5年(1600)に豊後国に漂着したオランダの商船リーフデ号の船員です。
リーフデ号は、オランダのロッテルダムを出航した5隻の船団の中の一隻でしたが、5隻の船は、太平洋で離れ離れになってしまいました。その内の一隻のリーフデ号が豊後に漂着したのでした。
リーフデ号の漂着者は24名いましたが、船長クワッケルナックらはオランダに帰るため日本を離れました。
そして、ヤン・ヨーステンとウィリアム・アダムス(三浦按針)だけが日本に残り、徳川家康の外交顧問になりました。
なお、リーフデ号は日本に来たはじめてのオランダの船で、ウィリアム・アダムスは、日本に初めて来たイギリス人です。
ヤン・ヨーステンは、内堀沿いに屋敷を拝領したので、このあたりが、八代洲(やよす)河岸と呼ばれるようになり、八代洲(やよす)がいつのまにか「八重洲(やえす)」と呼ばれるようになりました。
従って、現在は、東京駅の東側が八重洲となっていますが、本来の八重洲は東京駅の西側です。それがすこしずつ東に移動し、現在のように東京駅の東側が八重洲と呼ばれるようになりました。

