【坂下門】
坂下門は、西の丸と西の丸下を結ぶ門で、坂下に位置しているので坂下門と呼ばれます。
また、城内の紅葉山に通じる門なので山の門ともいいました。
現在の坂下門は、正面からみると豪快な大きな門です。しかし、江戸時代には、坂下門はこのような形をしていませんでした。江戸時代には、坂下門も高麗門と渡櫓門のある左折枡形門でしたので、土橋から入れば、まず高麗門があり左に渡櫓門がありました。
明治になってから高麗門や枡形を取り除き、渡櫓門を北面から東面に90度向きを替え、高麗門の場所に移築したのです。
ですから、明治以降、現在のような形に変わりました。そして、現在の門は、関東大震災後、鉄筋コンクリートに改造されたものです。
【厳しい警戒】
現在は宮内庁通用門となっており警備は厳重で土橋の部分にも入れません。この写真では、人が通行していますが、皇宮警察官が一人ひとりチェックしてから門内に入っていきました。
しかし、正月・天皇誕生日の一般参賀の際の出口の1つとして指定されているそうですので、その際には、坂下門を間近にみることができますが、私はまだその機会がありません。
【坂下門外の変】
下の写真は、長崎大学付属図書館蔵の明治初年の坂下門ですが、左端に高麗門と渡櫓門があるのがわかるだろうと思いますがいかがでしょうか?
坂下門に関係する事件で有名なものに坂下門外の変があります。坂下門外の変は、文久2年(1862)1月15日、坂下門外にて、尊攘派の水戸浪士たち6名が老中安藤信正を襲撃し負傷させた事件です。
坂下門外の変については、過去にブログに書きましたので、 「坂下門外の変」をご覧ください。

