【別名は「お局門」または「不浄門」】
平川門は三の丸の正門になります。
平川門は、太田道灌のころからここに門が作られていて、当時、門の前には上平川村や下平川村などがあったためその名まえがあります。
平川門は、奥女中の通用門でもあったため、「お局(つぼね)門」とも呼ばれました。奥女中との関係で有名なお話は、春日局が門限に遅れ入門することができなかった話です。
このときの門番は小栗又一郎という旗本でした。春日局は実力者、その春日局を締め出したのですからお叱りを覚悟したと思いますが、逆に役目を守ったとしてお褒めにあずかり500石の加増を受けたそうです。
この人は、幕末の動乱期に、勘定奉行等を歴任しその後官軍によって斬罪となった小栗上野介の先祖に当たる人物です。
【木橋は江戸城に二つ】
また、平川門は不浄門といわれ、元禄14年 (1701)の松の廊下で刃傷事件をおこした浅野内匠頭や正徳 4 年(1714)に大奥女中の絵島が送り出された歴史もあります。門前の橋は木橋となっていて平川橋と呼ばれています。江戸城の木橋としては、現在は、平川橋と和田倉橋だけとなっています。
木橋には擬宝珠(ぎぼし)があり、江戸のおもかげを残してくれています。
【帯曲輪門】 ここは大手門・北桔橋門(きたはねばしもん)とともに皇居東御苑の出入口になっていますので、橋を渡って門を入ることもできます。
橋を渡ると右手に高麗門があります。高麗門を入ると、枡形になっていて左に渡櫓門がある左折枡形門となっています。
その渡櫓の右端に帯曲輪門(おびくるわもん)という小さな門があります。
近づけないので詳しいこともわかりませんが、帯曲輪につながっているとのことです。
【帯曲輪】 帯曲輪はここから平川濠を細長く渡り廊下のように竹橋まで続いています。
ここが本丸に近く、最も防備を要する地点であるため、二重三重に堀をめぐらせたものといわれています。
雉子橋門にはすぐ竹橋門を配置し、一ツ橋には平川門を配し、わずかな距離に二重に堀をめぐらし、さらに帯曲輪で堀を三重にしています。
このようにな至近距離に三重に堀をめぐらしているのはここだけです。

