【橋をはねあげていたので桔橋門】
北桔橋門の辺りは、大田道灌時代、城の大手であったという話もあります。江戸時代、北桔橋門は本丸から外部に直接通じる門であったため、橋を桔(は)ねあげて遮断していました。
そのため、「桔橋門」の名前があります。
また、同様な「桔橋門」が本丸と吹上方面をつなぐ場所にあり西桔橋門と呼ばれています。
こちらは、本丸の北側にあるため、「北桔橋門」と呼ばれます。
かつては、渡櫓門もある枡形門でしたが、現在は高麗門だけとなっています。
【雄大な石垣】
北桔橋門付近は本丸のすぐ近くにあるため、防備を厳重にしました。
そこで、石垣を高くし、濠も広く深くしてあります。江戸城のなかで最も堅固で雄大な箇所となっています。
そのため、この付近の石垣は見ごたえがあります。
上写真は、平川濠側の石垣。下の写真は乾濠側の石垣です。
それぞれ、北桔橋門の前から撮っています。
西側の乾濠側の水位は高く、東側の平川濠の水位は非常に低くなっています。
また、東側の平川濠に面する石垣は水面から役21メートルもあり、日本の高石垣では五指に入る高さだそうです。

