江戸幕府は、アメリカと日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)を安政5年(1858)6月19日に結びました。そして、その後、幕府は同様の条約をイギリス・フランス・オランダ・ロシアとも結びました。これを総称して安政五ヶ国条約と言います。
これらの条約締結後、江戸には外国の公使館が設置されました。
これらの公使館の多くは現在の港区内の寺院に設置され、現在もその面影を残しています。
今日からは、その 「幕末の外国公使館」 について書いていきます。
最初はアメリカ公使館が設置された麻布善福寺です。善福寺は、東京メトロ「麻布十番」駅から5分の距離にあります。

【最初のアメリカ公使館跡】
安政6年(1859)に善福寺はアメリカ合衆国公使館となり、初代公使タウンゼント・ハリス以下の館員が駐在しました。そして、明治8年12月まで公使館として利用されました。
そこで、参堂入り口には 「最初のアメリカ公使宿館跡」の碑が建てられています。
善福寺は、浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は麻布山(あざぶさん)と言います。
天長元年(824)に弘法大師空海によって開山されたと伝えられていて都内では金竜山浅草寺につぐ最古の寺院です。。
当初は真言宗の寺院でしたが、その後鎌倉時代になって越後国に配流になっていた親鸞が善福寺を訪れた際に、浄土真宗に改宗したとされます。
戦国時代に石山本願寺が織田信長と戦った時には、善福寺は籠城する僧に援軍を送ったこともあるそうです。
【本堂は明和年間建立のものを移築】 江戸時代には、幕府の保護を受け、特に三代将軍徳川家光は甲良豊後守に命じ当時の建築の粋を集めて本堂を建立し寄進しました。
善福寺は、昭和20年5月の空襲で伽藍を焼失してしまいました。
現在の本堂は、慶長年間に創建された家康が東本願寺八尾別院大信寺の本堂を昭和36年移築し再建したものです。
元々明和4年(1767)に建立されたもので、京都天明の大火の後、約10年間、東本願寺の御影堂の役も勤めた由緒ある建物です。
【逆さイチョウ】 境内には、「逆さイチョウ 」と呼ばれるイチョウの古木があります。
名の由来は、枝が下のほうに伸びて逆さになっているように見えることからきています。
このいちょうは、親鸞のついた杖から生えてきたという伝説のある古木です。
そこから「杖イチョウ」の別名もあります。
幹回りは10.4メートルあり都内で最大のイチョウです。樹齢750年以上で国の天然記念物に指定されています。
再来日したシーボルトは文久元年(1861)の江戸滞在中にこの「逆さイチョウ」を見ているそうです。
【柳の井戸】 善福寺の参道にある地下から湧き出ている清水です。弘法大師空海が柳の木の下で鹿島の神様に祈りを込めて錫杖を突き立てたところ、湧き出してきたという伝説があります。
関東大震災や東京大空襲の際には貴重な飲み水を提供したそうです。現在でもかなりの量の水が湧き出ています。
【善福寺の今昔】
この写真はベアトが来日直後の文久3年(1863)に撮影した善福寺です。山門と本堂が映っています。左側に見える木陰が「逆さイチョウ」ではないかと思います。
この年、善福寺は水戸浪士の放火で書院などが焼失しました。
この写真は長崎大学付属図書館所蔵です。
上の写真と同じように参堂から現在の善福寺の勅使門を撮りました。背景には、近代的なマンションがそびえたっています。
古寺と近代的なマンション、これがかつての江戸の現代の姿でもあります。
でも、勅使門の左にある「逆さイチョウ」が昔の面影を伝えているように思います。

