東禅寺は、JR品川駅から田町方面へ第一京浜を歩いて7分のところにあります。 門前には「最初のイギリス公使宿館跡」という石碑が立っています。
【東禅寺の旧地は霊南坂】 東禅寺は慶長14年(1609)日向国飫肥藩の2代藩主伊東祐慶(すけのり)が嶺南崇六(れいなん・すうろく)を開山に招聘して、現在の東京都港区赤坂溜池付近の邸宅をもとにして創建しました。
現在アメリカ大使館からホテルオークラまで伸びる坂を霊南坂と呼びますが、その坂名は東禅寺を開山した嶺南和尚に由来したものです。
溜池の土地がのちに幕府用地となったため、寛永13年(1636)現在地に移転しました。
【オールコック、東禅寺を気に入る】
安政6年(1859年)6月4日にイギリス初代総領事ラザフォード・オールコックが駐在し、日本初のイギリス領事館が東禅寺に置かれました。11月にオールコックは公使に昇格しました。
オールコックはその自著「大君の都」で「江戸にある最大かつ最良の寺のひとつ」「これほど美しい草庵を選べたことは幸いだ」と絶賛するほど東禅寺を気に入っていました。
【東禅寺事件】
しかし、オールコックが気に入った東禅寺は、攘夷派の襲撃を受けることになります。
文久元年(1861)、攘夷派の水戸藩浪士によって寺が襲撃される(第一次東禅寺事件がおきます。オールコックは難を逃れましたが、書記官らが負傷し、水戸藩浪士、警備兵の双方に死傷者が出ました。
また、翌文久2年(1862)には護衛役の信濃松本藩藩士によって再び襲撃され、イギリス人水兵2名が殺害された第二次東禅寺事件が起きています。
こうした襲撃事件が起きたため、オールコックは一旦安全な横浜に移ります。その後、泉岳寺前に建設された高輪接遇所に公使館を移します。
そんな事件があったとは思えない程、東禅寺の境内は緑豊かで、東京とは思えない静寂な雰囲気があります。
イギリス公使館として使用された奥書院は現在も保存されているそうですが未公開のため拝見することはできませんでした。
また、東禅寺は伊東祐慶をはじめ岡山藩池田家、鳥取藩池田家、宇和島藩伊達家など諸大名の墓があるそうですが、これらも未公開とのことでした。
【東禅寺の今昔】
こちらはベアトが幕末から明治にかけて撮った東禅寺の山門です。かなり立派な寺院であったことがわかります。
参道を写真の手前に戻ってくると、そこは東海道で、その先はもう海だったそうです。
この写真は長崎大学付属図書館所蔵です
こちらは現在の山門で仁王様が鎮座しています。この山門を入った両側はうっそうとした樹木が茂っています。
最後にオールコックの話題を一つ。
オールコックは、初めて富士山に登った外国人です。
万延元年(1860)7月のことでした。オールコック一行の富士登山は耳目を集め、一行が通過する東海道筋では見物制止命令が出されるほどだったそうです。

