これが大手三の門の警備を担当していた鉄砲百人組の番所です。
今日は、この鉄砲百人組について書いていきます。
【百人番所は三の門を警備】
大手三の門の警備は鉄砲百人組が受け持っていました。
百人番所は長さ約50メートルの大きな建物です。ここに、甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組の鉄砲百人組が昼夜交替で詰めていました。各組には各20騎の与力と100人の同心が配置されてました。
百人蕃所は「中の門」の目の前にあるので、「中の門」の警備のためにあるように見えますが、「中の門」の警備は持弓組と持筒組が担当していました。
鉄砲百人組は、二十五騎組、伊賀組、根来組、甲賀組の四組からなり、二十五騎組の与力が25騎で、他の三組は 与力が20騎で、鉄砲同心は各組に百人ずつ配属されました。
そのため、百人組と呼ばれました。
その人員も編成当初は組名の通り、伊賀・甲賀・根来衆といった鉄砲の扱いに優れた者を召抱えました。
鉄砲百人組は平時は主に江戸城大手三の門に詰めていましたが、将軍が寛永寺や増上寺に参拝する際は山門前を警備しました。
【百人組は甲州街道沿いに配備】
この鉄砲百人組の組屋敷は、それぞれ伊賀組は大久保に、甲賀組は青山、根来組は市谷、二十五騎組は内藤新宿にありました。このように鉄砲百人組の組屋敷は、すべて甲州街道沿いにありました。
切絵図を見ると、「千駄ヶ谷・鮫ヶ橋・四谷」の切絵図の中に「百人組 俗に二十五キト云」、「市谷・牛込」の切絵図の中に「根来百人組」、「東都青山」の中に「百人町ト云」、「牛込市谷大久保」の中に「百人組」と書かれています。そうしたことから、かつては百人組に由来を持つ青山百人町(青山)、根来百人町(市ヶ谷)、百人町(大久保)の地名がありました。
その中で、大久保の百人町は現在も新宿区で百人町として地名が残っています。
その名残りで現在も新宿区を中心に「江戸幕府 鉄砲組百人隊」が活動しています。
そのHPによれば、今年は次の日程で演武がおこなわれるようです。
『“大新宿まつり” ふれあいフェスタ2010 出陣!』
日時: 平成22年10月17日(日) 午前10時開会
場所: 都立戸山公園 (東京メトロ副都心線「西早稲田駅」下車6分)
お出かけになってはどうでしょうか!
【百人組は内職でも有名】
大久保の百人町は、江戸時代にはつつじで有名でした。これは鉄砲百人組が、元来この地に自生していた「つつじ」を宝暦年間(1751~64)から、内職として栽培を始めたそうです。
大久保以外の百人町でも、内職が盛んに行われました。
青山百人町の傘と春慶塗と傘張り、根来百人町の提灯張りが有名です。
また、鉄砲百人組ではありませんが、御家人の内職として有名なものに下谷御徒町の朝顔栽培があります。

