中の門を入り大番所前を左に折れて進むと、坂道になります。
その坂道をまっすぐ進むと正面に大形の石材で積まれた石垣に突き当たりますので、また右折します。
この右折したところに中雀門がありました。
【中雀門も右折枡形門】
中雀門は、本丸御殿への最後の門で、玄関門とも御書院門とも呼ばれました。
中雀門は、右折枡形門で、中の門から坂を登ってくると、石垣に突き当たり右折する所に、高麗門がありました。今はアサファルト舗装されていますが、江戸時代は高麗門の前後は石段でした。そして、高麗門を入り石段上の枡形平地をまた右折すると正面に渡櫓門があります。渡櫓門も石段を登って通過したようです。
中雀門を抜けると、現在は広々とした広場となっていますが、かつてはここに広大な本丸御殿が広がっていて、目の前に、本丸御殿の玄関があり、左手には高貴な人だけが通行を許される堀重門がありました。
【中雀門の名前は四神思想から】
中雀門の名前は、四神思想に基づき、御殿の南にあるので、南の守護神である朱雀から名づけれられたとも言われています。
ちなみに、本丸の東には東の守護神青竜にちなむ竜の口、西には西の守護神白虎にちなむ虎ノ門があります。
この門の警護は、御書院番が担当し、与力10騎、同心20人で警護しました。
渡櫓門を通過した右手には御書院与力番所がありました。
【火災のすさまじさが残る石垣】
中雀門は、文久3年(1863)11月の火災で本丸御殿が焼けた時に類焼したため、上の写真のように石垣の表面は、熱によりボロボロになっています。
この石垣により、本丸御殿全焼の火災が非常に激しかったことがよくわかります。