【刀番は殿様が下城するまで待機】
本丸御殿までお供とともに登城した大名は、玄関からは一人で行動します。
本丸御殿では一般の大名は刀を持ちこむことができなかったため、玄関には刀を預かる刀番がいました。
三田村鳶魚著の「武家の生活」のなかで、広島藩の最後の藩主で「最後の殿さま」と呼ばれた浅野長勲(あさのながこと)は「ここ(玄関)にかねてさし回してある刀番、これは相当位置のある士(さむらい)ですが、これに玄関を上る時、刀を抜いて渡します。刀番は私が帰るまで、終始玄関の外で、刀を持って立っていなければならいのです。」と述べています。
ただ、深井雅海氏の「江戸城ー本丸御殿と幕府政治」によると、刀番が玄関式台に上れる大名もいたそうです。

御家門、御連枝で10人の殿様
越前福井藩、陸奥会津藩、讃岐高松藩、
美作津山藩、陸奥梁川藩、美濃高洲藩、
陸奥守山藩、常陸府中藩、伊予西条藩の各藩主、
さらに陸奥会津藩の嫡子
外様大名では3人の殿様
加賀金沢藩と因幡鳥取藩の藩主、
そして加賀金沢藩の嫡子
以上の大名の刀番は、玄関を上がったすぐ近くにある「遠侍次の間」近くで控えていたそうです。
御家門や御連枝の大名がほとんどですね。将軍家関係の大名が優遇されたということになりそうです。
さらに、御三家は、玄関式台より奥の「大広間溜(たまり)」まで刀を持ち込むことが許されたそうです。
【投げ草履 ← 草履取りの妙技】
次に草履取りについて書いてみます。
お殿様のお供をしていく草履取りは、ただの草履取りではありません。
遠くから草履を投げて殿様の足元にピッタと草履を並べられる技量を持っていたようです。
浅野長勲によると、「草履取りは目通りが出来んので、投草履(なげぞうり)と称えて、遠くからちゃんと二つ揃うように投げる。草履取りの姿は見えておるのだが、形式にそうするのです。玄関に上がった後では、また草履取りが預かっておる。雨天の際には下駄です。これは投げて揃えるわけにはいかないから、横から並べる。」そうです。
殿様が、本丸御殿から下城するために玄関にあらわれる前に、草履取りの芸術的な技が毎回見られたなんて愉快ですね。