江戸文化歴史検定1級は、今年で4回目ですが、過去3年間、毎回「守貞謾稿(もりさだまんこう)が出ています。
そこで、今日は、 「守貞謾稿」 の話題です。
まず、過去の問題の紹介からします。第2回(平成19年実施) ※1級はこれが最初です。
江戸時代後期になると、卵百珍献立などを記した『万宝料理献立集』など玉子(卵)料理の書籍がいろいろ刊行されており、ゆで玉子売りについても記載があります。『守貞謾稿』によれば、蕎麦や汁粉が16文だったころ、大きめのゆで玉子の値段はおおよそいくらだったでしょう。
第3回(平成20年実施)
大阪で生まれ育ち、のちに江戸に移住した喜多川守貞は、江戸と上方のとの風俗の比較を「守貞謾稿」で詳細に述べています。では、同書で「京阪にありて江戸にこれなき生業」と書かれる「悉皆屋(しっかいや)」とはどんな商売でしょう?
第4回(平成21年実施)
守貞謾稿によれば、ゆで卵は大きめのもので約20文もしたといいます。さて、江戸では、4月8日にある生き物の玉子をたべると、中風にかからないといわれていました。その生き物は何でしょう。
守貞謾稿は、相当のボリュームがあります。岩波文庫では「近世風俗史(守貞謾稿)」として(一)から(五)まで五巻あります。
それをすべて紹介する訳にいきません。そこで、今回は、『京阪にありて江戸にこれなき生業』は悉皆屋の他にどんなものがのっているのか調べて見ました。
『京阪にありて江戸にこれなき生業』
☆素襷屋(いろや)
京阪では弔いのときの親族は無紋の麻裃を着ます。色は白か水色。衣服は白絹、夏は白晒布(さらし)だそうです。女性も、白絹・白絹・白麻布の衣服に白綸子の帯を着たそうです。これが用意していない家はこれを素瀘屋(いろや)から日借りしました。
☆白皮屋(しろかわや)
大坂にある商売で、なめし皮を作りました。江戸には似た商売がありましましたが、京都にはありませんでした。
☆雪駄店(せったみせ)
雪駄の修理をする商売で、雪駄を売ることもありました。 大阪・江戸にあり京都にはありませんでした。
その他、 「縫物師匠」 も京阪にあり江戸にないものに上げられています。
ところで、悉皆屋とは
大坂にある商売で、衣類の染め・洗い張りなどのいっさいを請け負い、これを京都の業者に送って調製させた染物関係の商売です。
染物についてのすべてを請け負ったので、「悉皆」の名が生じたようです。
その後に転じて、染物や洗い張りを業とするものの名称にもなったそうです。
「今世 江戸にありて京阪にこれなき生業」
次いで、「今世 江戸にありて京阪にこれなき生業」としては次のものが挙げられています。
☆献残屋(けんざんや)
武家が進物したり町人が献上したものの残りを売ることから名前がつきました。
当時は、贈られたものは、実用に用いず、献残屋に売っていたようです。そして、それを、また別の人が利用していたようです。
上り太刀・熨斗鮑(のしあわび)・枯魚(ひもの)・昆布・葛粉・片栗粉・干あわび、くるみ、唐墨(からすみ)・雲丹などを商いました。
☆菜屋(さいや)
江戸名物で、生あわび、するめ・焼き豆腐・こんにゃく・くわい・蓮根・ごぼうなどを煮しめにして、大きな丼に盛ってうる商売で、現代風にいえば「惣菜屋」にあたると思います。
☆蔵法師
本所・深川は、土蔵が非常に多くありました。
隅田川の西側は人家が多く空き地が少なく、地価も高く、火災の危険性が高いため、東側の深川や本所に蔵を建て、米穀はじめとした諸物を蓄えたり、投機・売買、あるいは金貸しもしていました。
蔵法師というのは、蔵の所有者の委託によって蔵の近くに住み、蔵の中の貨物の管理・出納などを行った者を言います。
その他、次の商売が江戸だけと記されていますが、商売の内容はそんなに難しくありません。
☆纏工(まといこう)
町火消人足用の白塗纏をつくります。武家用の物は武具工が作るそうです。
☆窖(あなぐら)工
俗に穴蔵屋というと書かれています。穴蔵というのは、火事の際、焼失を防ぐために、地下につくる蔵で、雑物を納むが、土蔵ある人も金銭の類は必ず穴蔵にいれたと書かれています。
☆酒問屋
これも江戸だけだそうです。京阪では、酒造家から小売店に売るため問屋がなかったそうです。
酒の小売店は、江戸では枡酒屋といい、京阪では板看板(いたかんばん)酒屋といったそうです。
☆刺身屋 鰹やまぐろの刺身を売る商売です。
☆便り屋 町飛脚のことです。
☆浅草の蔵宿 札差のことです。

