通史として幕末の歴史を書いている本には、ほとんど「ええじゃないか」 についての記載があります。
そこで、今日は「ええじゃないか」 について、「開国と維新(大系日本の歴史12・小学館ライブラリー )」に基づいて書きます。「ええじゃないか」は、幕末から明治へ移行する時期、慶応3 (1867)年7月半ば頃から翌年4月頃にかけて、東海地方から近畿地方に突発的に起こった民衆運動です。
この運動は民衆が踊りながら「ええじゃないか」などと唱えたので「ええじゃないか」といわれています。
しかし、「ええじゃないか」は主として関西で使われ、三河以東では「六根清浄」などといっていたようです。
これまでに知られている最も早い時期の「ええじゃないか」の事例は、7月14日の三河国牟呂村(愛知県豊橋市)と言われています。
7月14日、15日に御札の降った牟呂村では、18日から20日まで臨時祭礼が行われました。
これを受けて、吉田宿(愛知県豊橋市)では、爆発的なにぎわいとなりました。
その後、東西に拡大し、東は江戸までひろがり、西は安芸広島から四国までひろがりました。
大政奉還が行われた10月中旬以降の関西での「ええじゃないか」は多分に政治的な性格を帯びていました。
「ええじゃないか」の騒ぎのなかで、薩長倒幕派や岩倉具視の王政復古クーデターへの画策がすすんでいきました。
岩倉具視の伝記「岩倉公実記」には、「ええじゃないか」は岩倉具視をはじめとする討幕派の活動を助け、王政復古のクーデターを成功へ導いたことが記されています。
「開国と維新」の中では、著者の石井寛治東大教授は「ええじゃないか」について次のように書いています。
「ええじゃないかは、世直し状況のなせるわけであり、世直し意識の全国的な拡大をもたらしましたが、その要求はその場かぎりの酒食の供応にとどまり、年貢や諸負担に関する基本要求は影をひそめていた。
政治的に利用されるにとどまり、政治過程を主体的に動かす力は持たなかった。ここに当時の民衆の意識の限界をみなければならない。」

