【幕末の人気者 早竹虎吉】江戸では、両国や浅草の奥山で、見世物興行が行われ、江戸っ子の人気を博しました。
見世物には、動物見世物、細工物、曲芸・軽業といったジャンルがあります。
動物見世物は、象やラクダを見せるもの、細工物は 文政年間の一田庄七郎の籠細工が有名です。
この中で、幕末に話題になったのは、曲芸・軽業の早竹虎吉でした。
早竹虎吉は、生年はわかりませんが、京都で生まれ、寺町誓願寺の境内で軽業渡世をした後、天保14年(1843)大坂へ下って興行し、10年以上にわたり大活躍しました。
江戸には、安政4年(1857)正月 に下り、江戸っ子に初めてお目見えしました。
この興行は、大いに評判となり、「藤岡日記」にもその様子が記録されていて、前日から予約しないと見物できないほどの集客があったそうです。
また、この時、2ヶ月ほどの間に、錦絵が30数点も出版される程の人気だったそうです。
【「曲差し(きょくざし)」】
右の錦絵もその時のもので、芸は、「曲差し(きょくざし)」または「曲持(きょくもち)」と呼ばれるもので、早竹虎吉が得意とするものでした。
下で三味線を弾きながら旗竿をささえるのが早竹虎吉です。
竿から手を離して肩だけで支え、三味線を曲弾きするという非常に高度な芸を見せています。
【「石橋(しゃっきょう)」】左の錦絵は、能や歌舞伎で親しまれた「石橋(しゃっきょう)」の曲芸化したものです。
これは「足曲持(あしきょくもち)」または「足芸(あしげい)」とよばれるもので、これも下でささえるのが、早竹虎吉です。
【ニューヨークでも大評判】
幕末の日本の軽業は、世界的にみて最高のレベルにあったそうです。
早竹虎吉も、アメリカにおいてもその技芸を高く評価されました。
早竹虎吉は約30名の一座を引き連れ、慶応3年(1867)8月24日に横浜を出発しました。
同じ船には、のちに「ダルマ蔵相」とあだ名された高橋是清も乗っていたそうです。
虎吉は、翌9月にはサンフランシスコに到着しました。
そして、サンフランシスコのメトロポリタン劇場を振り出しにサクラメントほかで興行し、ニューヨークに移動し、ニューヨークでは、1月24日にアカデミー・オブ・ミュージックで興行を行いました。
しかし、その後、体調をくずし、1868年2月8日に心臓病でなくなってしまいました。
異国でも大きな花を咲かせて、明治を目前にして異国に散った早竹虎吉でした。

