「生人形」は「いきにんぎょう」と読みます。
「生人形」というのは、幕末から明治にかけて、見世物興行に出された細工物のひとつで、まるで生きているかのようなリアルな細工をほどこした等身大の人形です。全国で大変な人気を博しました。
幕末の見世物興行を彩るものなので、江戸検受験対策のためにご紹介しておきます。
【肥後熊本生まれの松本喜三郎】
この「生人形」のスーパースターが、松本喜三郎です。
松本喜三郎は、文政8年(1825)2月、熊本の井出ノ口町(現在の熊本市迎町)で誕生し、少年時代、絵を学び人形師としての基礎をつくりました。
当時、熊本市で盛んだった地蔵祭りの「つくりもの」が生人形のもとといわれていますが、喜三郎は青年期には地元の地蔵祭の「つくりもの」に腕をふるいました。
そした、嘉永7年(1854)、喜三郎30歳の時、大坂難波新地で「異国人物生人形」の見世物を行い、大成功しました。
【異国人物 生人形】
松本喜三郎は、翌年安政2年(1855)には、江戸にくだり、浅草奥山で興業を行い、江戸でも大評判を得ました。

上の絵は、松本喜三郎の江戸でのデビュー作「異国人物の生人形」を描いたもので、歌川国芳が描いています。
右にいる湯上り姿の長崎の丸山遊女が、手長、足長などの異国人物を眺めるという構図になっています。
生人形の肌は、胡粉を溶かして肌色をつけ、それを霧吹きで吹き付けて表現したそうです。
そうして作られた生人形は、迫真の写実性のある「やわ肌」「もち肌」が多かったそうです。
【今でも見られる生人形】 松本喜三郎の作品は、現在も、出身地熊本で見ることができます。
1つは熊本市高平にある浄国寺で、ここでは、喜三郎会心の作といわれている「谷汲観音像(巡礼姿観音像)」が見られます。
明治24年(1891)、68歳でなくなった喜三郎は、この浄国寺に眠っています。
また熊本市春日6丁目8-8の来迎院では、喜三郎晩年の作で、慈愛に満ちた「聖観世音菩薩像」が見られます。
右写真は、来迎院の「聖観世音菩薩像」です。

