良い結果であったことと思います。
これからも、江戸の話題を書いていきますので、引き続き御愛読ください。
さて、土曜日に予定されていた「江戸城ウォーク」は台風のため中止となりました。
残念ですが、相手が天気では致し方ないですね。
今日も、江戸城二の丸の話題です。 「梅林坂」 をご案内します。
梅林坂は、本丸と二の丸を結ぶ坂で、梅林があったことから、その名がつけられました。
【太田道灌、江戸城内に天満宮を創建】
太田道灌が、ある日菅原道真公の夢を見ました。道灌はそれをきっかけに文明10年(1478)に城内に天満宮を建立しました。
太田道灌が川越城内にあった「三芳野天神」を江戸城内(梅林坂上)に勧請して天満宮を創建したのでしたその後、天満宮の周囲に多くの梅の木を植え、やがてここを梅林坂と呼ぶようになりました。
現在も梅林坂の下から本丸方面にかけて50本ほどの梅があります。この梅の木の多くは昭和42年に植えられたものです。
【平河天満宮となる】
徳川家康の江戸入城後間もなく築城のため天満宮は平川門外に移転しました。
さらに、慶長12年(1607)に2代将軍秀忠により半蔵門外に移され現在の国立劇場の西に移転し、現在の「平河天満宮」となっています。
【日枝神社もここにあった】
また、現在は赤坂にある日枝神社も昔はここにありました。
文明10年(1478)太田道灌が江戸の鎮護の神として川越山王社を勧請しました。
それが、一旦西の丸の中の紅葉山に移され、2代将軍秀忠の時の江戸城大改造の際、城内紅葉山より新たに社地を江戸城外に定め、社殿を新築して遷座されました。
その地が今の隼町国立劇場附近です。そのため、そこは元山王と呼ばれます。
その後、明暦3年(1657)の明暦の大火に社殿が炎上してしまいました。
そのために、赤坂の現在地に移り、現在の日枝神社となっています。
【二つの梅林坂門】 昔、梅林坂は右曲がりの石段で、上り坂の前には仕切り門しかなく、坂上には渡櫓門がありました。この門が上梅林門で、大奥に一番近い門でした。
坂下は食違門で、平川門の近くには下梅林門がありました。
現在はなだらかな舗装に代わっていますが、江戸時代は玉石敷きの雁木坂であったそうです。

