最近は、毎回、最後に「龍馬暗殺まで何ヶ月のことであった」というナレーションが入っています。
その龍馬が暗殺された日は慶応3年11月15日です。それはいみじくも龍馬33回目の誕生日でした。
月でいえば今月の出来事ですので、今日から、 「龍馬暗殺」 について書いきたいと思います。
坂本龍馬が暗殺されたのは、醤油屋の近江屋の2階でした。龍馬暗殺は、幕末最大のミステリーの一つとされています。
特に、誰が暗殺者で誰が黒幕かということが話題になっています。
【近江屋は土佐藩邸の真向かいにあり】
大政奉還を実現させた龍馬を狙う人は多くいたため、龍馬は「才谷梅太郎」などの変名を使い、姿を変え、宿を変えていました。
宿は木屋町にある材木商「酢屋」にいましたが、暗殺される1カ月ほど前に「近江屋」に変えていました。
近江屋は京都河原通り蛸薬師下ルにある土佐藩の御用商人で真向かいは土佐藩邸でした。
いざという時には、土佐藩邸に逃げ込むことができました。
そして、近江屋は中庭に土蔵があり、裏側は「称名寺」というお寺で、襲われた時には境内を抜けて脱出することも可能でした。
龍馬は、薩摩藩邸や土佐藩邸に入ることもできましたが、それらには入らず近江屋を隠れ家としていました。
それについて龍馬は「二本松(薩摩藩邸)ニ身をひろめ候ハ、実にいやみで候バ、万一の時もこれあり候時ハ、主従共ニ此処ニ一戦の上、屋舗(土佐藩邸)に引取申すべしと決心仕りおり申し候」と書いています。
【龍馬のピストル】 さらにピストルで武装していました。
高杉晋作から贈られたというピストル(写真の上、スミス&ウエッソン社製の32口径6連式ピストル)は寺田屋で襲撃された時に紛失していまいました。
そして次に薩摩藩から贈られたというスミス&ウエッソン社製の22口径5連式ピストル(写真下)で武装していました。
龍馬には周囲から身の危険をつげる情報がいろいろ入っていたそうです。
襲撃される前には、元新撰組の伊東甲子太郎から忠告があったと言います。しかし、龍馬はその忠告に従わず、伊東甲子太郎は残念がったそうです。
また、襲撃の前日の11月14日には、寺田屋の女将のお登世も噂を聞きつけて、龍馬に危険を知らせました。しかし、やはり龍馬は動きませんでした。
さて明日は、龍馬襲撃の様子を書きます。

