それより早く「龍馬暗殺」について書いていきますが、今日は、龍馬暗殺の2回目で、坂本龍馬襲撃の様子を書いていきます。
【風邪のため母屋2階に移る】
坂本龍馬は、近江屋で中庭にある土蔵に身を潜めていましたが、暗殺される2日ほど前から風邪気味の龍馬は、土蔵から母屋2階の奥座敷に移っていました。
近江屋の2階には、4つの部屋がありました。階段を上がった部屋が6畳、左つまり東側で河原町通りに面した部屋が8畳、右(つまり西側)が仏間の6畳、その奥が床の間の8畳でした。
坂本龍馬は、その奥の8畳間にいました。
龍馬と中岡が暗殺された部屋の古写真が 京都大学電子図書館内の維新資料画像データベース「坂本竜馬、中岡慎太郎横死ノ間」で見られます。
【龍馬と中岡が残る】
午後6時ごろ、その龍馬を中岡慎太郎(左写真)が訪ねてきました。午後7時ごろには、土佐藩同志岡本健三郎が来訪し、さらに中岡がかつて下宿していた「菊屋」の息子の峰吉がやってきて、火鉢を囲んで談笑しました。
午後8時ごろ、龍馬は、腹が減ったので、峰吉に軍鶏(しゃも)を買いに行かせました。
ちなみに、龍馬は軍鶏鍋が大好きだったそうです。
そのとき、岡本健三郎も、他に用事があるため、買い物に出かける峰吉とともに、近江屋を出ました。
この時点で、近江屋にいた人は、2階の奥の間に坂本龍馬と中岡慎太郎、階下にかつて「雲井龍」の四股名で相撲をとっていた山田藤吉、そして1階に近江屋の主人一家がいました。
☆右写真は軍鶏鍋です。霊山護国神社で毎年開かれる龍馬際では軍鶏鍋がふらまわれるそうです。
【暗殺者は7名】
岡本と峰吉が出かけた直後、暗殺犯たちが近江屋を訪れます。
応対に出た藤吉に十津川郷士の名が書かれた名刺を渡します。それを持って藤吉は龍馬たちに取次に2階にあがります。
その間に暗殺犯たちは、配置につきます。 暗殺犯は7人というのが有力説です。
7人説によると、この7人は、階段を上がった所に指揮者が1人、2階の龍馬たちがいる8畳間の隣の仏間に実行犯3人、1階の奥の部屋に主人一家の抑え役1人、入口に見張り役1人、外に伝令役1人という配置だったそうです。
3人が取次ぎをした藤吉のあとをつけて2階に上がりました。そして、藤吉が部屋を出たところを待ち構えて襲いかかりました。(取り次ぐ前に斬りかかったという説もあります。)
その藤吉が斬られる物音を聞いた龍馬は、藤吉がふざけていると勘違いして、「ほたえなや(騒ぐな)」と声をかけたといいます。これにより、龍馬がいることを暗殺者たちに知らせてしまいます。
【龍馬 絶命】
その部屋に暗殺犯が襲いかかりました。
暗殺犯の一太刀目は、龍馬の額を切り裂きました。この一太刀目で龍馬は致命傷を負います。
さらに、床の間の刀を取ろうと振り向いた龍馬は背後から斬りつけられました。そして、三太刀目は鞘のまま受け止めましたが、この時にまた額を傷つけられます。
中岡慎太郎も、最初に後頭部を斬られた後、小刀で応戦しますが、十数か所の傷を受けて倒れてしまいます。
暗殺者たちは、「もうよい、もうよい」と言葉を残して立ち去りました。
瀕死の龍馬は、傷の具合を見て、「脳をやられたからもうダメだ」と言って事切れたと言われています。
中岡慎太郎も痛みに耐えて家人を呼びますが応答はなく、物干し台から隣の屋根にはいだしますが、ついに意識を失ってしまいました。
これの後については、明日書きます。

