【龍馬絶命、中岡重傷】
龍馬襲撃を土佐藩邸に告げたのは、近江屋の主人新助でした。
新助は、2階の物音に土佐藩邸に異変を告げようとして表に飛び出しますが、表に見張りがいたため、裏に回り、土佐藩邸に駆け込みました。
土佐藩邸からは、横目付の嶋田庄作が近江屋に向かいました。
近江屋に到着すると軍鶏を買ってきた峰吉が帰ってきたので、家の中に入りました。
2階では、6畳間に藤吉が倒れており、8畳間には龍馬がうつぶせに倒れており、中岡慎太郎は北隣の道具商井筒屋の屋根に横たわっていたそうです。その時には、龍馬は絶命していました。
【谷干城(たにたてき)・田中光顕ら駆けつける】
やがて、急を聞いた谷干城(右写真「国立国会図書館蔵」)や田中光顕が駆けつけてきました。
中岡の意識はしっかりしていて、谷干城たち同志に事件の模様を語りました。
近江屋の表に訪問者がきて、藤吉が応対した。十津川の郷士といったので、取次ぎの藤吉が名刺をもってきた。
床を背にした龍馬と入口近くに座っていた中岡が名刺を見ようと行灯の灯りに向いたところ、2人の暗殺者が「こなくそ!」といって斬りかかってきた。はっと思った瞬間、龍馬が床の刀に手を伸ばしたところまで覚えているが、その後は、自分の応戦で精一杯で覚えていない。中岡は、左右の手足を斬られ、深手を負い気絶した。暗殺者は「もうよい。もうよい」といって引き上げた。
これが中岡の言うあらましだったそうです。
そして、「手馴れた戦いぶりは新撰組だろう。刺客の言った言葉に「こなくそ!」という言葉は四国の者のよくいう言葉である。だから刺客は四国のものに違いない」と言ったそうです。
田中光顕は白川の陸援隊にいましたが、峰吉が急を告げたので、すぐに飛び出し、途中で二本松の薩摩藩邸により、吉井幸輔に知らせて、近江屋に駆けつけました。
田中光顕は「井上聞太を見よ、あれほどの大疵さえ生きた。貴様は決して案ずることはない」と中岡に声をかけたといいます。
しかし、翌日には、藤吉が息を引き取り、翌々日には中岡慎太郎も息を引き取りました。

