雷門は浅草寺の総門になります。
【正式名称は「風雷神門」】 一般に雷門と言われますが、左右に風神雷神を安置していることから、正式には風雷神門と言います。
このため、「門の名で見りゃ風神は居候」とか「風の神雷門に居候」という江戸時代の川柳が残されています。
風雷神像は慶応の火事の際、大部分が焼失し、頭部だけ残っていたものを、明治7年(1874年)塩川連玉氏が修復したものです。
雷門は天慶5年(942)平公雅(たいらのきんまさ)によって創建され、当初は駒形付近にありました。
鎌倉時代以降現在地に移築された際、風神・雷神が初めて安置されたといわれます。
【広重の描く雷門】
明和4年(1767)に火事で焼け、寛政7年(1795)に再建された雷門は、大きさ、東西6間半・南北3間、単層切妻造りで、「志ん橋」の大提灯がかけられていました。それを広重は名所江戸百景の「浅草金龍山」の中で、このように描いています。
雷門から、仁王門と五重塔を望んでいます。
「志ん橋」の大提灯は、当初は、普請に参加した屋根屋三右衛門ら屋根屋職人たちが奉納したそうですが、広重の絵に描かれているのは新橋の海産物を商っていた人たちが奉納したものだそうです。
五重塔は現在と違い、本堂の東側にあたる絵の右側に建っていました。
仁王門の前には、今と違い、支院が並んでいて、雪の日のため、仲見世の店が見当たらず、静かな参道風景となっています。
【昭和35年に再建】
この雷門が慶応元年(1865)に火災で焼失した後、95年間、雷門がありませんでした。そのため、「名あって、実のないものの横綱格」といわれていましたが、昭和35年に松下幸之助氏により再建されました。
雷門の大提灯も松下幸之助氏の寄贈で、高さ3.9M、直径3.3M、重さ700Kgもあります。
平成15年(2003)8月に 掛け換えられました。4回目になるそうです。
大提灯は、三社祭の時と台風到来の時だけ畳まれるそうです。
提灯の表側は「雷門」となっていますが、右の写真のように、裏側には正式名称「風雷神門」と書かれています。
【天龍・金龍像】
雷門は表からはよく見ますし、記念写真にとる人も多くいます。
しかし、門の裏側(仲見世側)にも木像が安置されています。
風神の後ろ側に、平櫛田中氏作、木曽檜造りの天龍像(左の写真)、雷神の反対の後ろ側には菅原安男氏(東京芸術大学教授)作、同じく木曽檜作りの金龍像(右の写真)が安置されています。
天龍、金龍はそれぞれ、水をつかさどる龍神さまだそうです。



