宝蔵門は、元々は、仁王様を祀っていたことから仁王門と呼ばれていました。
その仁王門は、江戸初期の慶安4年に作られましたが、昭和20年3月10日の空襲で焼失してしまいました。
【宝蔵門は、大谷米太郎氏の寄進】
そして昭和39年にホテルニューオータニの創業者である大谷米太郎(よねたろう)氏の寄進により建築されました。
大谷米太郎氏は、大相撲の力士から身を起こし、大谷重工業やホテルニューオータニを創業し、実業界で成功した人です。浅草の橋場に住んでいて、浅草観光連盟の会長のほか浅草寺の信徒総代も勤めて、浅草寺とは縁の深い人でした。
寄進された大谷米太郎氏のレリーフが宝蔵門に嵌め込まれています。
【宝蔵を兼ねているので宝蔵門】 新築されたこの門は、宝蔵をかねているため宝蔵門と呼ばれるようになりました。
高さ約22メートル、間口約21メートル、奥行き約8メートルです。
門の上部に見える「浅草寺」の扁額は、京都曼殊院門跡天台座主良尚法親王の書(元禄5年)の模写です。
門の両側に安置されている仁王様は、西側の阿像が錦戸新観(にしきどしんかん)、東側の吽像が村岡久作(むらおかきゅうさく)両氏の制作によるものです。
高さは5.45mあります。重さは1000キログラムあるそうです。
【大提灯と吊灯篭】 門の中央の「小舟町」と書かれた大きな提灯は日本橋小舟町(こふなちょう)奉賛会より奉納されたものです。
平成15年に、江戸開府400年を記念して15年ぶりに新調されたものです。
提灯は高さ3.75m、直径約2.7m、重さ:400kgもあります。
提灯の上部に小舟町から提灯を寄進することになったいきさつが記されているそうです。それによると300年以上前の江戸時代はじめの貞享年間(1684~1687)に寄進は始まるということです。
提灯の両隣りにある2個の吊灯籠は、魚河岸講より昭和63年10月に奉納されたものです。
銅製で高さ約2.75mで、重さは1000kgもあります。
この灯篭には寄進者である魚河岸講のメンバーである水産会社と魚市場の名が記されています
【大わらじ】 宝蔵門の裏側には特大わらじがかけられています。
このわらじは、山形県村山市(天童市の北側にあります)の奉賛会から奉納されたものです。
長さ4.5メートル、幅1.5メートル、重さ400キログラムあるそうです。
ほぼ10年ごとに奉納を繰り返しているそうです。
製作期間1ヶ月、藁2500キログラム、のべ人数800人の人手により出来上がっているそうです。

