【覆いのとれた本堂】
慶安2(1649年)家光によって再建された本堂は、江戸・明治・大正と幾たびの災害をくぐりぬけてきましたが、昭和20年(1945)3月10日の空襲で焼失してしまいました。
焼失前の本堂は国宝に指定されていました。現在の本堂は、昭和33年(1958)に再建されたものです。
高さ29.4メートル、間口34.5メートル、総面積1,032.7坪の大きな建物です。
本堂は、平成本堂大営繕と称して本堂屋根瓦をチタン製の瓦に葺き替えるため、つい最近まで巨大な覆い(素屋根)が掛けられ、本堂自体を見ることは出来ませんでした。
チタン製の瓦にすると屋根の重量が5分の1になるため、地震対策として葺き替えを行っていました。
その工事が終わり、ようやく覆いがとれて全体が見られるようになりました。
落慶式は12月に行われるようです。
【大提灯は新橋組合奉納】
本堂では、まず、朱色の下地に黒色の文字で「志ん橋」と書かれた大きな提灯が目に入ります。
この大きな提灯は、平成16年12月、従来から寄進を続けている東京新橋組合によって新調されました。
東京新橋組合というのは、新橋の芸者組合と料亭組合が共同で設立した組合のようです。
雷門の提灯より一回り大きく、高さ4.6m、直径3.5m、重さは約600kgあります。これまで見てきたように、浅草寺には大きな提灯がいくつも奉納されています。
そこで、江戸っ子は「提灯に釣鐘負ける浅草寺」という川柳を残しています。
以前には、「新橋」のほか、「赤坂」「浅草」「柳橋」の花柳界の芸者衆の寄進した提灯が本堂にかかっていたと書いている本もあります。
色街からの奉納は、宝暦元年(1751)に新吉原の遊女6名が、お店の定紋と自分の源氏名をいれて広告を兼ねて12個の提灯を奉納したのがはじまりだそうです。
また、大提灯の底部には、渡辺崇雲氏の龍の彫刻がされています。。
【書聨(しょれん)】
大提灯の両脇にあるのが、書聨(しょれん)と呼ばれるものです。
聨(れん)とは、書や絵を書き、または彫刻して、柱や壁などの左右に掛けて飾りとする細長い板を言います。この聯は天台宗の僧であり文化功労者の書家豊道春海師が文字を書き、篆刻家の中村蘭台(らんたい)氏が刻んだものです。 それぞれ次のように書かれています。
右の聯は 「実相非荘厳金碧装成安楽刹」 と書かれています。
これは「実相(じっそう)は荘厳(しょうごん)に非(あら)ざれども金碧(こんぺき)装(よそお)いを成す安楽刹(あんらくせつ)」と読みます。
左の聯は 「真身絶表象雲霞画出補陀山」 と書かれています。
これは「真身(しんしん)は表象(ひょうしょう)を絶(ぜっ)すれども雲霞(うんか)画(えが)き出(いだ)す補陀山(ふださん)」と読みます。

