【二天門は元東照宮の随身門】
二天門は、浅草神社の東にあります。
四天王のうちの持国天と増長天をお祀りするので二天門といいます。浅草寺には、江戸時代の初め、東照宮が鎮座していました。
東照宮は、元和4年(1618年)に日光東照宮造営の翌年に浅草寺内に勧進されました。「東照宮」は寛永8年(1631)と 寛永19年(1642)の炎上後、江戸城内紅葉山に移されて、ここでの東照宮の再建は許されずこれから案内する影向堂前の「石橋(しゃっきょう)」とこの門だけが残りました。
その東照宮の随身(ずいじん、ずいしん)門として作られたのがこの二天門です。随身門とはお寺の仁王門にあたり、神社を守護する門守神(かどもりのかみ)を安置した神門で、門の両脇に二神像が祀られます。俗に「矢大神門(やだいじんもん)」ともいわれました。
当初この門の神像は豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)と櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)が安置さていました。
二天門は慶安2年(1649年)に再建されたと推定されていて、戦災も免れて、国の重要文化財です。
「二天門」の扁額は最後の太政大臣、三条実美が書いたものです。
創建以来、補修・改築が加えられていましたが、平成22年(2010)の修復にあたって創建当初の形式に戻されました。
上の写真は、二天門を通して見た浅草寺本堂です。
【持国店と増長天】
明治時代の神仏分離の際、両随身像は浅草神社に移られ、鎌倉の鶴岡八幡宮の経蔵にあった二天をお祀りして「二天門」と改称しましたが、その像が戦災で焼失してしまいました。現在の二天は、昭和32年に上野寛永寺の4代将軍の家綱を祀ってある厳有院殿の勅額門から譲りうけたものです。
祀られているのは持国天と増長天で、四天王のうちの二つです。四天王は仏教の守護神であることから武装した姿に造られます。ここの二天も武装しています。
持国天は東方、増長天は南方を守護するとされています。向かって右の持国天は、左手を上げて独鈷杵(とっこしょ)という密教法具を持ち、右手を腰に当てる姿勢をとっています。向かって左の増長天は持国天とは対照的な姿勢をとり、右手に三鈷杵(さんこしょ)を掲げ、左手は腰に当てています。
元来は全身に華やかな彩色が施されており、今でも顔や鎧(よろい)に古来の鮮やかさが残されています。
どちらも「寄木造(よせぎづくり)」という、鎌倉時代以降に流行した複数の木材を組み合わせる技術で造られています。慶安時代に作られたとされています。
上の持国天(右写真)と増長天(左の写真)の写真は、二天門の修復期間中に、五重塔の1階に移転して公開されていた時に撮影したものです。

