小名木川五本松は、広重の「名所江戸百景」に描かれたり、「江戸名所図会」にも書かれた文字通り江戸の名所でした。
【小名木橋のたもとに3本】
現在の小名木川の五本松は、東京メトロ半蔵門線「住吉」駅5番出口から徒歩3分の小名木川にかかる小名木川橋の東北のたもとに植えられています。
小名木川は、江戸時代の初めに、下総の行徳から塩を運ぶ水路として開削された運河です。その小名木川のほぼ中間の北岸、深川猿江町の一角に整然と並ぶ5本の松がありました。それが有名な小名木川五本松です。
この松は、明治の末に枯死しましたが、昭和63年9月に現在の地に復活しました。
昔は5本でしたが、現在、小名木川橋の東北のたもとに植えられているのは3本の松です。【帰宅後調べてみると西北のたもとに2本の松が植えられているようです。両方をあわせると5本の松になります。】
【小名木川は重要な水路】小名木川は、小名木四郎兵衛により開削されたため、その名がついたといわれています。
東側は、中川と中川御番所でつながり、西は万年橋の近くで隅田川とつながり、約5キロを一直線に結んでいます。
江戸が発展するにつれて、小名木川は塩を運ぶだけの水路でなく、銚子から利根川をさかのぼり、関宿から江戸川を下ってきた物資を江戸に運ぶ水路の役割も果たしました。
【小奈木川五本まつ】広重が描いた頃には、五本松のうち4本は既に枯れてしまっていて、丹波綾部藩九鬼家の下屋敷内に残った1本の松の枝が、伸びに伸びて小名木川の水面に覆っていました。
江戸の日本橋小網町にあった行徳河岸から行徳までは、「行徳船」と呼ばれる船が往復していました。
15人から24人ほどが乗れる舟で江戸から行徳までは半日かかったようです。
絵に描かれているのは、その「行徳船」と思われます。
広重のこの絵では、小名木川が曲がって描かれていますが、実際は直線でした。
【江戸名所図会】
江戸名所図会には次のように書かれています。
『同所小名木川通り大島にあり。(ある人云く、旧名女木三谷(おなぎさや)なりと。古き江戸の図にうなぎ沢とも書けり。『江戸雀』小奈木川に作る。又この地に鍋匠(なべつくり)の家ある故に、俗間字して鍋屋堀とよべり。)九鬼家の構へのうちより、道路を越えて水面を覆ふ所の古松をいふ。(昔は、この川筋に同じ程の古松五株までありしとなり。他は枯れて、ただこの松樹(まつ)のみ今なお蒼々たり。)又この川を隔てテ南岸の地は、知恩院宮尊空法親王御幽棲の旧跡なり。(同卷本所霊山寺の条下を合せみるべし。)』
【芭蕉句碑】その五本松の碑の北側に、松尾芭蕉の句碑がありました。
この句碑は、2008年12月に、この地に本社がある住友セメントシステム開発という会社が創立20周年記念事業の一環として建立したそうです。
「奥の細道」の旅を終えた芭蕉が、元禄6年(1680)に小名木川五本松のほとりに舟を浮かべて一句を吟じたそうです。
石碑には、その時に読んだ「川上とこの川下や月の友」の句が刻まれていました。
赤字が小名木川五本松です。

