【光松(ひかりまつ)】
まず、東京メトロ「早稲田」駅近くにある「穴八幡宮」にある「光松(ひかりまつ)」の話からします。
穴八幡宮は康平5年(1062)に源義家が氏神八幡宮を勧請したことにはじまり、寛永13年(1636)には、幕府の御持弓組頭松平直次がこの地に的場を築き、射芸の守護神として八幡宮をお祀りしました。
寛永18年(1641)に草庵を築くために南側の山裾を切り開いたところ横穴が現れ、金銅の阿弥陀如来像が現れたことにによって穴八幡宮と称するようになったといわれています。
この穴八幡宮に「光(ひかりまつ)」と呼ばれる松があります。
「光松(ひかりまつ)」というのは暗い夜にも光るので「光り松」と言われるようになったようです。
しかし、それについて、書いたものがほとんどなく、江戸名所図会が一番詳しいので抜き書きします。
『光り松(別当寺と本社との間、坂の支路にあり。昔の松は 延享年間(1744~1748)に枯れたりとて、いまあるものは後世植え継ぎたる若木なり。
南向亭云く、「この地。昔は松樹繁茂せし山林にて、そのうちに一株の松あり。暗夜には折として瑞光を現ず。ゆえにその樹を称して光り松といふとぞ。また寛永13年(1636)はじめて当社八幡宮勧請の頃、樹上に山鳩来たり遊びし」と』
現在の「光り松」は、隋身門の東側の脇に植えてあり、細くて樹高の高い松です。
右写真が「光り松」です。
【松並木と一里塚の榎の由来】
二つ目は、松並木と一里塚に植えられている榎についての話です。
街道の並木として松は杉と共によく植えられています。
並木は、美観を整えるだけでなく、日よけ風除けになり、旅人の道しるべや休み場所を提供します。東海道など五街道は、江戸時代、並木が良く整備されました。
東海道では、江戸時代には、江戸から京都まで、箱根を除いたほとんどの部分が松並木であったそうです。
松並木と一里塚の榎が植えられた由来について次のようなおもしろい話があるそうです。
『松並木は、3代将軍家光の時代に、干ばつが起こり多くの人がなくなり、特に旅人が日照りによりなくなったため、将軍の命を受けた土井利勝が街道の左右に松を植えました。
そして、土井利勝は、松並木が延々続くと旅人が退屈するだろうと一里塚を築きました。
ここに植えるのは松並木を区別するために他の木がよいだろうと、将軍に伺いを立てたところ、将軍は「一里塚には余の木を植えさせよ」とおっしゃったが、土井利勝は年をとっていて耳が遠かったので、「余の木」を「榎」と聞き間違えてしまい、「榎」を植えさせるようにした。』
これが多くの一里塚には榎が植えられてる由来だそうです。
街道の松並木が整備されたのは、3代将軍家光の時代より前であろうと思います。従って、一里塚の榎の話も事実とは違うと思いますが、おもしろい話ですので紹介しました。
右上の写真は日本橋の欄干中央にある麒麟像です。その麒麟像の間の柱に、松並木を象徴する松が上部に、そして一里塚を象徴する榎が下部に刻まれています。

