例年、初詣は、地元の八幡神社と喜多院としています。
あいかわらず、喜多院境内は初詣の人々で混み合っていて行列をつくり参拝をしていました。
右の写真をご覧ください。大勢の人出でした。本堂に上がり初護摩をお願いし家族一同の健康と安全を祈ってきました。
初護摩のお客様も大勢で、内陣は座る場所がないほどの込み具合でした。
喜多院は、大変古いお寺で江戸時代には天海大僧正が住職をしていたお寺でもあります。
そこで、今日は喜多院についてご案内します。
【喜多院、元は北院】
喜多院は、正式には星野山無量寿寺喜多院といいいます。
喜多院というのは、天海大僧正が住職となってからの名前です。
それまで、無量寿寺というお寺にあった北院、中院、南院のうちの一つの子院でした。
無量寿寺は、平安初期の天長7年(830年)、淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立しました。
無量寿寺には北院、中院、南院という3つの子院がありました。
3院はそれぞれ仏蔵院、仏地院、他聞院と称していました。
そのうちの北院の住職となった天海大僧正が、慶長17年(1612)、仏蔵院北院を喜多院と改めました。
【本堂は慈恵堂】
右の写真は、 喜多院の本堂にあたる慈恵堂です。平日に写したものです。
慈恵堂は、比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源いわゆる元三大師をまつる堂です。喜多院は寛永15年(1638)、大火により現存の山門を残し、すべての堂宇が焼失してしまいました。
慈恵堂は川越大火の翌年、寛永16年(1639)10月に大火以後、いち早く再建されました。
慈恵堂は 大師堂または潮音殿とも呼ばれています。
大師堂と呼ばれるのは慈恵大師を祀ったお堂だからです。
またこのお堂に座り耳を澄ますと、何処からともなく波の音が聞こえるという言い伝えから「潮音殿」とも呼ばれるそうです。
慈恵堂の内陣中央に慈恵大師が祀られています。そして、左右に不動明王がお祀りされて、毎日不動護摩修行が行われます。
初護摩はいつでも本堂内陣が一杯になってしまいます。その中で護摩修行が厳粛に行われました。

