今日は、「山門」と「慈眼堂(じげんどう)」についてご案内します。
【山門は喜多院最古の建物】山門には、昔は後奈良天皇の「星野山」の勅額が掲げられていたといいます。
棟札を見ると寛永9年(1632)に天海僧正により建立されたことが分かるそうです。
寛永15年(1639)之川越大火で喜多院の建物がほとんど焼失する中で、唯一焼失を免れ、喜多院では現存する最古の建物です。
【山門脇の番所(ばんしょ)】山門右側に接して建てられている番所は、裄行(けたゆき)3間、梁間(はりま)2間、切妻造りの小規模な建物で、徳川江戸中期から江戸末期の建立です。
天保12年(1841)の喜多院境内図では山門より後方に描かれているので、その後、現在のように山門に接するように移されたものと考えられます。
埼玉県の重要文化財に指定されています。
【慈眼堂は国の重要文化財】 慈眼堂は、慈眼大師天海をまつる御堂です。
天海僧正は、寛永20年(1643)に寛永寺でなくなりました。
2年後の正保2年(1645)に徳川家光の命令によりこの御堂が建てられ、厨子に入った天海僧正の木像が安置されました。
建物は、3間四方の比較的小さな御堂で、屋根は宝形(ほうぎょう)造りです。
国指定の重要文化財です。
【天海僧正】 左の天海僧正の銅像は、山門の前に建っているものです。
天海僧正は蘆名氏の出自で、陸奥国に生まれたといいます。
10歳にして出家し、随風と号しました。比叡山、三井寺、奈良の諸寺をめぐり幅広く修行したと言われています。
天正18年(1590)、天海は北院の豪海に師事し、師の没後、北院の住職となりました。
豪海に師事した時に、天海に改めたと言われています。

